風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

ご自分の相続財産のように

お救いください、
祝福してください、
あなたの嗣業の民を。
とこしえに彼らを導き養ってください。
詩28:9

 イエスの言葉:
わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。
その羊も導かなければならない。
その羊もわたしの声を聞き分ける。
こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、
一つの群れになる。
ヨハネ10:16

 ルカ13:(1~5)6~9 
 ロマ書2:1~11
   Ⅰテサロニケ2:13~20(通読箇所)(ローズンゲン日々の聖句11/22;水)

天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
ご自分のものとなった民を救い、祝福し、
羊飼いが自分の羊を草のある所に導き、養うように、
導き養ってくださる方なのだそうです。

エスは言われたのだそうです。
「この囲いに入っていないほかの羊も導かなければならない」と。
ご自分の民となっていない人々も、という意味でしょうか。

 天の神、主は、ひとりでも滅びることを望まず、
すべての人が立ち帰ることを望んで、
待っていてくださる方なのだそうです。

 牛のように鼻に輪を通して、あるいは、手綱をつけて、
強引に、引っ張るのではなく、
羊飼いが一匹一匹の名を呼ぶと、
羊は自分の羊飼いの声を聞き分け、
先頭に立って行く羊飼いにトコトコとついて行くように、
エスの言葉を聞き分けて、
自由意思でついてくることを願っておられるようですね。

 そして、神の民となっている者も、そうでなかった者も、
一人の羊飼いに導かれる、一つの群れになるようにと。

実のならないいちじくの木を、
「切り倒してしまいなさい。
何のために土地をふさいでいるのか」と言うぶどう園の持ち主に、
「ご主人。どうか、ことし1年そのままにしてやってください。
木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
もしそれで来年、実を結べばよし。
それでもだめなら、切り倒してください」と執り成し、
世話を続けるぶどう園の番人のように(ルカ13:6~9)。

 神は、えこひいきなどはなさらない方。
ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになる方。
忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、
永遠のいのちを与え、
党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、
怒りと憤りを下されるのだそうです。

 患難と苦悩とは、
神の民と呼ばれている人をはじめ、神の民でない人にも、
悪を行うすべての者の上に下り、

栄光と誉れと平和は、
神の民とされている人をはじめ、神の民でない人にも、
善を行うすべての者の上にあるのだそうです(ロマ2:1~11)。

 〔父である神〕は、私たちにも、
「神の民」(あるいはクリスチャン)であるかどうかにかかわらず、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、
〔生まれた時からの私〕という霊から出て来る思いは、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、
死んだものから出て来た思いであると認めて、
そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る、
ご自身の御思いを聞き分け、
羊飼いについて行く羊のように、
その御思いについて行き、
ご自身と思いを一つにし、
行動を一つにする者となってほしいと
待っていてくださる方のようですね。

 一つの群れとなって、
同じ祝福の中を進むようにと。
今日も。

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