風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

愛は、恐れを取り除いてくれるのだそうですから

あなたたちは心を込めて、
あなたたちの神、主を愛しなさい。
ヨシュア記23:11

 神は愛です。
愛にとどまる人は、神のうちにとどまり、
神もその人のうちにとどまってくださいます。
Ⅰヨハネ4:16

 黙示録20:11~15
 Ⅰテサロニケ4:13~18(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句11/25;土)

 神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって私たちに、
いのちを得させようとしていてくださるのだそうです。

 私たちが神を愛したのではなく、
神が私たちを愛し、
私たちの罪のために、
なだめの供え物としての御子を遣わしてくださったのだそうです。

 このようにして神は私たちに対する愛を現してくださっているのだそうです。
だから、この愛を無視しないで、
受け取って、この愛の中に留まり続けてほしいのだそうです。

 自分の大切な人とは、いつも一緒にいたいし、
何を思っているのかを知りたいし、
お互い、心を明かし合って、心が通じる者になりたいのですね。

エスが、自分からは何事もせず、
ただひたすら、〔父である神〕の御思いが実現することを願っていかれた(ヨハネ8:28、12:50))、
そのイエスと〔父である神〕との関係に私たちも似ていくようにと。

そして、愛には恐れがないのだそうです。

ヨハネは黙示録に記しています。
「また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。
地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。
そして、数々の書物が開かれた。
また、別の一つの書物も開かれた。
それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に記されているところに従って、
自分の行いに応じてさばかれた。」(黙示録20:11~12新改訳)と。

 けれども、神の愛を受け取り、
エスが十字架刑での処刑を受けて完了していてくださる救いのプレゼントを受け取り、
自分自身である〔生まれた時からの私〕という霊を処刑済みとしていただき、
エスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって、
〔父である神〕の私に対する御思いを心に置いていただき、
〔父である神〕と心を一つにして生きている者は、
「主イエスが、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下って来られるとき、
キリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に生き残っている私たちが、たちまち、
(からだを、霊のからだ、復活のからだに変えていただいて)、
彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、
空中で主イエスとお会いし、
いつまでも主イエスと共にいることになるのだそうですから(Ⅰテサロニケ4:13~18)。

 

 その希望の中で、
私たちは、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
〔父である神〕の御思いを心に置いていただきながら、
〔父である神〕が私を通してしようと思われることをしていくのだそうです。
愛と祝福の中を。
今日も。

 

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