風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

御子による語りかけに、耳を傾け

主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい。
主はすぐ近くにおられます。
フィリピ書4:4~5(12/24の週の聖句)

 主の言葉:
お前たちは、わたしが繰り返し語り続けてきたのに
聞き従おうとしなかった。
エレミヤ書35:14

 

 神は、かつて預言者たちによって、
多くのかたちで、
多くのしかたで先祖たちに語られたが、
この終わりの時代には、
御子によって私たちに語られました。
ヘブル書1:1~2

 ルカ1:(39~45)46~55(56)
 ルカ1:68~79(通読箇所)

(ローズンゲン日々の聖句12/24;Ⅳ日)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」をと名乗られる方は言われるのだそうです。
「わたしが繰り返し語り続けて来たのに、
お前たちは聞こうとしなかった。
預言者たちを早くからたびたび送って、
さあ、おのおの悪に道から立ち返り、行いを改めよ。
ほかの神々を慕ってそれに仕えてはならないと言ったのに、
あなたがたは耳を傾けず、わたしに聞かなかった」(エレミヤ35:15新改訳)、と。

 そして、今、この終わりの時代には、御子イエスによって語っておられるのだそうです。
「あなたがたの的外れの責任はイエスが負い、
十字架刑での処刑を受けて、あなたがたを贖(あがな)って、
もう、責任を問われることはないようにしてあるから、
わたしと和解し、
わたしに立ち返り、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方によって、わたしと思いを一つにし、
心を一つにして生きる者になってほしい」、と。

御使いから、処女でありながらイエスを宿すとの告知を受けたマリヤが、
同じように、神によってバプテスマのヨハネを宿している
親戚のエリサベツを訪ね、
「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、
なんと幸いなことでしょう」と喜び合い、
「わがたましいは主をあがめ、
わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、
そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、
心の思いの高ぶった者を追い散らし、
権力のある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、
飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせないで追い返されました。
主はそのあわれみをいつまでも忘れないで、
そのしもべイスラエルをお助けになりました。
私たちの父祖たち、
アブラハムとその子孫に語られたとおりです」(ルカ1:46~55)とうたい、

 また、不妊で老齢の妻が子を宿すとの
御使いの告知を信じられなかったため、
口がきけなくなっていたエリサベツの夫のザカリヤが、
生まれた子供の名を、
御使いから告げられたとおりに
「その名はヨハネ」と書いて伝えたたところ、
たちどころに口が開け、
「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。
主はその民を顧みて、贖(あがな)いをなし、
救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
古くから、
その聖なる預言者たちの口を通して主が話してくださったとおりに。
この救いはわれらの敵からの、
すべてわれらを憎む者の手からの救いである。
主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、
その聖なる契約を、
われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、
われらを敵の手から救い出し、
われらの生涯のすべての日に、
聖く、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。
幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。
主の御前に先立って行き、その道を備え、
神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
これはわれらの神の深いあわれみによる。
そのあわれみにより、
日の出がいと高き所からわれらを訪れ、
暗黒と死の陰に座っている者たちを照らし、
われらの足を平和に導く」(ルカ1:67~79)と、
喜びに満たされてうたったように。 

 

 私たちも、私たちに近く、近くいてくださる
神である主の御業の中で、
喜びに満たされて。
この新しい週も。