風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天からの雨を降らせて、実りの季節を与え

主は天上の宮から山々に水を注ぎ、
御業の実りをもって地を満たされる。
詩104:13

 神はご自分のことを
証ししないでおられたわけではありません。
恵みをくださり、
天からの雨を降らせて実りの季節を与え、
食物を施して、
あなたがたの心の
喜びで満たしてくださっているのです。
使徒14:17

 Ⅰコリント2:11~16
 ヨハネ3:22~36(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/9;火)

 雨を降らせて地をうるおし、
実りの季節を与えて、食物をくださり、
私たちを喜ばしてくださっているのは、
天の神、主なのだそうです。

 また、パウロは書いています。
「いったい、人の心のことは、
その人のうちにある霊のほかに、
だれが知っているでしょう。

同じように、神のみこころのことは、
神の御霊のほかにはだれも知りません。
ところで、私たちは、
この世の霊を受けたのではなく、
神の御霊を受けました。

 それは、恵みによって神から賜ったものを、
私たちが知るためです。
この賜物について話すのに、
人の知恵に教えられたことばを用いず、
御霊に教えられたことばを用います。
その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
生まれながらの人間は、
神の御霊に属することを受け入れません。
それは彼には愚かなことだからです。
また、それを悟ることができません。
なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、
自分はだれによってもわきまえられません。
いったい、『だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか』。
ところが、私たちには、
キリストの心があるのです(Ⅰコリント2:11~16新改訳)」、と。

 天の神、主は、
エスの十字架刑での処刑を自分の処刑としていただいた者に、
御霊、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
〔父である神〕の御思いを知っているこの方によって、
受け入れる者の心に、
〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
受け入れる者がイエスと同じ心を持つ者としてくださるのだそうです。
〔父である神〕と心を一つにする者にと。

 イエスは、
〔父である神〕が
御霊、〔聖である霊〕と呼ばれる方を無限に与えられたので、
〔父である神〕の御思いをそのまま話されたのだそうですが(ヨハネ
334)、
私たちにも。
今日も。