風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

燃やされた怒りを翻し、慰めを

主よ、私はあなたに感謝します。
あなたは私に向かって怒りを燃やされたが、
その怒りを翻し、
私を慰められたからです。
イザヤ書12:1

 神は、私たちを
怒りに定まられたのではなく、
私たちの主イエス・キリストによる
救いにあずからせるように
定められたのです。
Ⅰテサロニケ5:9

 ロマ書8:26~30
 申命記1:1~18(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句1/10;水)
 
 使徒パウロは言います。
「〔父である神〕は、私たちのそむき、離反の責任を
御子イエスに負わせて、十字架刑での処刑を執行され、
私たちにはなぐさめをもって向かっていてくださる。
エスによる救いにあずからせるよう、定めておられる」、と。

私たちが、あくまで、
神のこの憐れみを無視、あるいは拒否し続けるなら、
自分で自分の責任をとることになるのでしょうが。

御霊、〔聖である霊〕と呼ばれる方も、同じようにして、
弱い私たちを助けてくださいます。
私たちはどのように祈ったらよいかわからないのですが、
御霊ご自身が、言いようのない深いうめきによって、
私たちのためにとりなしてくださいます。

 人間の心を探り窮める方は、
御霊の思いが何かをよく知っておられます。
なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、
聖徒のためにとりなしてくださるからです。

神を愛する人々、すなわち、
神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
私たちは知っています。

 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、
御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。
それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、
召した人々をさらに義と認め、
義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました」(ロマ8:26~30新改訳)、と。

 モーセは、民の中のトラブルをさばくために、
千人の長、百人長、50人の長、10人の長を立てたとき、
そのさばきつかさ、
人をさばく立場に置かれた人たちに言ったのだそうです。
「あなたがたの身内の者たちの間の事をよく聞きなさい。
ある人と身内の者たちとの間、
また在留異国人との間を正しくさばきなさい。
さばきをするとき、人をかたよって見てはならない。
身分の低い人にも高い人にもみな、
同じように聞かなければならない。
人を恐れてはならない。
さばきは神のものである。
あなたがあたにとってむずかしすぎる事は、
私のところに持って来なさい。
私がそれを聞こう(申命記1:15~17)、と。

 私たちにも。
今日も。