風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

明るい光、祝福の中を

あなたの神、主は、
あなたの手の業をすべて祝福し、
この広大な荒れ野の旅路を守り通された。
申命記2:7

 イエスの言葉:
わたしは世の光である。
私に従う者は暗闇の中を歩かず、
命の光を持つ。
ヨハネ8:12

 ヨハネ16:16~23b
 ヨハネ15:1~8

  (ローズンゲン日々の聖句3/16;金)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
イスラエルの民が、エジプトを出てから、約束の地に入るまでの、
荒野の旅の40年を祝福し、守り、昼は雲の柱、夜は火の柱で導き、
その着物は擦り切れず、足がはれることもないようにされたのだそうです。

私たちのこの世での旅路にも、
エスが派遣される〔聖である霊〕と呼ばれる方が、
命の光として、私たちの内に来てくださり、
光である、明るい、〔父である神〕の御思いを心に置いてくださり、

私たちが、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている自分の理性の暗闇、
自分の思い、自分の判断の暗闇を歩かなくていいようにしてくださるのだそうです。

 イエスは、しばらくの間、
弟子たちが見ることが出来ないようになられましたが、
しばらくすると、見るようになられました(ヨハネ16:16~22)。

 イエスが、十字架刑での処刑を受け、息を引き取られたのは、
金曜日の午後の3時頃、
そして、日没からは過ぎ越しの祭りの安息日が始まるので、
いそいで、近くにあったアリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に
葬られたのだそうです。

 

そして、日曜日の早朝、
三日目の朝に新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
ご自分が生きていることを証明し、神の国のことを語った後、
オリーブ山から、弟子たちの守る中、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたのだそうです。

 その、イエスが、〔父である神〕の右の座にあって、
受け入れる者に、〔真理の御霊〕、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方の働きによって、ご自分が語ろうとしておられること、
〔父である神〕の御思いを私たちの心の置き、知らせて、
心が一つになっている者にしてくださり、
受け入れる者が、もう、イエスに尋ねなくていいほどに、してくださるるのだそうです(ヨハネ16:13~14、23)。

 

 それで、イエスと受け入れる者との関係は、

ぶどうの木と、その木の枝のような関係。
ぶどうの木の枝が、ぶどうの木につながっており、
つながった場にとどまり続けているなら、
木からの樹液が枝の隅々にまで流れ来て、豊かな実を結ぶように、
受け入れる者にも、〔父である神〕の御思いが心の隅々にまで来て、
〔父である神〕の思われるとおりをしていく者にしていただけるのだそうです。
豊かな実を結ぶ者に。

 

 この世の旅路の中で、光である御思いのとおりを求める者に。
祝福の中を。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)



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