風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

翼で覆い、守って

あなたは必ず私を助けてくださいます。
あなたの翼の陰で私は喜び歌います。
詩63:8

 神からお生まれになった方が、
その人を守ってくださり、
悪い者は手を触れることが出来ません。
Ⅰヨハネ5:18

 ヨハネ20:11~18
 ヨハネ20:24~31(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句4/4;水)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
ご自分に頼って来る者を必ず助けてくださり、
私たちが喜び歌うようにしてくださるのだそうですね。

 神から生まれた方(造られた者ではなく)が、
信頼して頼って来る者に悪い者が手を触れることがないよう、
守ってくださるのだそうですから。

 私たち、神に背を向け、
神に聞こうとしない性質を持って生まれてきていますが、
その、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている(創世記3:5、22)、

聖書が「肉」と呼んでいる〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて
死んだもの、処刑が終わっている者としていただいた者は、
この〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを、
死んだものから来た思いとして、
かたわらに見ていく生き方をするようになるのだそうですから。

 その思いのとおりに行動したり、
その思いと取っ組んだりしないで、
電車の窓の外の景色を見るように、
冷静に、客観的に、これをながめているようになるのだそうです。
平常心に。

 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死者の中から新しい霊のからだに復活され、
天の〔父である神〕の右の座に帰られた(ヨハネ20:17)
エスが派遣してくださる
もう一人の助け主(ヨハネ14:16)、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって生きるようにしていただけるので、
悪い者、サタンが
心にささやきかける思いによって行動することはなくなり、
〔父である神〕が私を通してしようと思われることを
していく者にしていただけるのだそうです。

 イエスが、〔父である神〕への愛において、
自由意思で、自発的に、自分からは何もしないで、
〔父である神〕の御思いのとおりに話し、
行動しておられたように(ヨハネ5:19、30、8:28、12:49~50)。

 

 それで、十字架刑での処刑を受けた後、

死者の中から復活されたイエスが弟子たちに現れたとき、

息を吹きかけて、

聖霊を受けなさい」と命じられたのですね(ヨハネ20:22)。


 私たちも、十字架刑での処刑を受けられ、
死んで葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いによって
生きるようにもしていただけるのだそうですね。

 この方の助けと喜びの中で。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

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