風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

豊かな、神の憐みによって

 神は豊かな憐れみにより、
私たちを新たに生まれさせ、
生き生きとした希望を与えて下さった。
Ⅰペテロ1:3(4/8の週の聖句)

 神は子どもの泣き声を聞かれ、
天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。
「ハガルよ、どうしたのか。
恐れることはない。
神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。
立って行って、
あの子を抱き上げ、
お前の腕でしっかりと抱き締めてやりなさい。
わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。
創世記21:17~18

 したがって、これは、
人の意思や努力ではなく、
神の憐みによるものです。
ロマ9:16

 ヨハネ20:19~29
 詩84(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句4/8;Ⅱ日曜)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている
私たち人間のそむきの実態をよくご存じなのですね。

 「的外れ」になり、
陶器師が自分の思うように仕上がらなかった陶器を砕いてしまうように、
エルサレム生ごみゲヘナの谷で焼却されているように、
廃棄処分されるべき実態を。

 けれども、神は、なお、そのような私たちを愛し、
大切に思い、憐れみの心をもって接していてくださるのだそうです。

 それで、神なく、希望なく生きている私たちも
エスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって
新たに生まれさせ、
生き生きとした希望の中で生きるようにしようとしていてくださるのだそうです。

 女主人サラの女奴隷であったエジプト人ハガル。
天の神、主は、
このサラからアブラハムに子を与えると約束されていたのですが、
サラに子が産まれるような様子はなく、どんどん歳をとるので
女主人サラは、女奴隷のハガルによってアブラハムの子を得ようと考え、
ハガルをアブラハムの側女として夫アブラハムに与えたのだそうです。
それで、ハガルは主人アブラハムの子イシュマエルを産みました。

 その後、女主人サラにもついに約束の子、イサクが生まれ、
その乳離れした日に(近東では、3歳あるいはそれ以後の乳離れが一般的)、
盛大な宴会を催したのだそうです。

 そのとき、サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子、
イシュマエルが自分の子イサクをからかっているのを見た。
それでアブラハムに、
「このはしためを、その子といっしょに追い出してください。
このはしための子は、
わたしの子イサクといっしょに跡取りになるべきではありません」と迫り、
アブラハムは、パンと水の革袋を与えてその子とハガルを送り出したのだそうです。

 それで、彼女はベエル・シェバの荒野をさまよい歩き、
革袋の水が尽きたとき、
その子を一本の灌木の下に投げ出し、
自分は、矢の届くほど離れた向こうに行って座り、声をあげて泣いたのだそうです。

 神は少年の声を聞かれ、上記のような言葉をかけて下さったのですね。
「大いなる国民とする」と。
このイシュマエルからアラブ人が出たのだそうです。

 イサクとリベカの子、ヤコブエサウのこともそうですが、
このイサクとイシュマエルのことも、
人間の意思、願いや努力、人間の側の善し悪しによるのではなく、
神の憐みによるのだそうです。

 イエスの生前、イエスから
「自分は、苦しみを受け、三日目によみがえる」と聞いていながら、
確かに、三日前に自分たちの見ている前で十字架刑で処刑され、
死んで葬られたイエス
復活し、生きていると聞いても信じることができない弟子たちにも、
復活したイエスは、弟子たちを憐み、
くぎの穴の開いた手と、
ローマ兵によって突き刺されたわき腹の槍の跡を見せ、
食べ物を食べて見せて、
幽霊ではなく、確かに、新しいからだをもって生きている事実を
見せてくださったのだそうです(ヨハネ20:19~29)。
信じられない者に愛と憐みをもって。


 このイエスにより、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣していただいて、
この方により、〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、
〔父である神〕と心と思いを一つにして、
新しく生きるようにしていただいた者、
自分自身である〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを、
死んだ者から来た思いだと認めて、この思いは横に置き、
〔聖である霊〕と呼ばれる方から来る
〔父である神〕の御思いによって生きる者は、
神と一つにしていただける、生き生きとした希望の中を生き、歌うのですね。

 万軍の主。あなたのお住まいは
なんと、慕わしいことでしょう。
私のたましいは、主の大庭を恋い慕って、
絶え入るばかりです。
私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。
雀さえも、住みかを見つけました。
つばめも、ひなを入れる巣、
あなたの祭壇を見つけました。
万軍の主。私の王、私の神よ。
なんと幸いなことでしょう。
あんたの家に住む人たちは。
彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。

 まことに、あなたの大庭にいる一日は、
千日にもまさります。
私は悪の天幕に住むよりは
むしろ神の宮の門口に立ちたいのです。
まことに、神なる主は太陽です。盾です。
主は恵みと栄光を授け、
正しく歩む者たちに、良いものを拒まれません。
万軍の主よ。
なんと幸いなことでしょう。
あなたに信頼するその人は。(詩篇84:1~4、10~12新改訳)、と。

 私たちも、
天の神、主の愛とあわれみにより、
新しい復活のからだをいただける希望の中で。
この新しい週も。

 

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