風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の言葉が、心の思いと考えを見分け、判別し

主よ、諸国の民を裁いてください。詩7:9

 神の言葉は
心の思いや考えを見分けることができます。
ヘブル書4:12

 Ⅰコリント14:6~9、15~19
 ヘブル書2:11~18(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句5/3;木)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
私たちの心と思いを調べられる方。

 神の言葉は生きていて、力があり、
両刃の剣が関節と骨髄の分かれ目を判別し、刺し通すように、
心のいろいろな思い、考えやはかりごとを見分け、
判別することができるのだそうです。

 その思いが、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって来た
〔父である神〕からの御思いであるか、
それとも、自分の〔生まれたときからの私〕という霊から来た思いであるかも。

 異言の問題についても、
それを神の御思いによってではなく、
自分の〔生まれたときからの霊〕から来る思いで
話していることもあるのでしょうね。
「私は、これだけ異言で話せる、霊的な、信仰深い者なんだ」と
見せびらかし、誇りたくって。

 それで、天の神、主は、
人(会衆)に対して(神に向かってではなく)話すときは、
異言で話すよりも、黙示や知識や預言の教えなど、
知性を用いた、皆さんに分かる言葉で話し、
聞く人の徳を高めるようにしてほしいと思っておられるようですね。
異言の解き明かしが伴う場合いは
異言で話していいのでしょうが。(Ⅰコリント14:6~9、15~19)。

 私たちを聖とする方、イエスも、
ご自身は、神の御子、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
自分の思いをなすためには、何事もなさらないで、
〔父である神〕への愛と尊敬において、
〔父である神〕の御思いが成ることだけを求めて行かれた方(ヨハネ8:26~27、12:50)。

 そして、聖とされた(神のものとされた)者も、
エスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る
〔父である神〕の御思いで生きる者にしていただけるのですね。
一つの元から出ている御思いによって生きるようにと。

 それで、イエスは、その、一つの元、
〔父である神〕から出る思いで生きる者を「兄弟」と呼んで下さり、
「わたしは彼に信頼する」と、
また「神がわたしに賜った子たち」と
言って下さるのだそうです(ヘブル2:11~13)。

 そして、私たちが、血と肉を持っているので、
〔御子である神〕も、
人間イエスとして血と肉を持っているものとなってくださって、
十字架刑での処刑というご自身の死によって、
悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた私たちを
解放してくださっているのだそうです。

 墓に葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
ご自身が生きていることを証明し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 今は、その、〔父である神〕の右の座にあって、
憐れみ深い忠実な大祭司として私たちを執り成し、
助けてくださるのだそうです。
私たちが〔父である神〕の御思いによって生きられるようにと。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

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