風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

報いていただけるのだそうですね。私たちも。

 主は、おのおのに、
その正しい行いと忠実さに従って
報いてくださいます。
サムエル記上26:23

 義に飢え渇く人々は、
幸いである。
その人たちは満たされる。
マタイ5:6

 ヨハネ6:(60~62)63~69
 ヘブル書3:7~19(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/5;土)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
人のそれぞれの働きに報いをされる方、なのですね。

 「よくやった。良い忠実なしもべだ。
あなたはわずかな物に忠実だったから、
わたしはあなたにたくさんの物を任せよう。
主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:23、新改訳)
と言って喜んでくださる方、なのだそうです。

 義に飢え渇く人々には、
その求めに応えて、
〔御子である神〕イエスの義を着せてくださるのだそうですから。

 このイエスこそ、
ご自身のいのちを差し出して、私たちの身代わりとなり、
私たちのそむき、「的外れ」の責任をご自身に負ってくださって、
十字架刑での処刑を受けてくださり、
私たちを処刑済み、死んだものとしてくださる方なのだそうです。

 そのうえで、受け入れる者に、
もう一人の救い主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
受け入れる者の心に、〔父である神〕の御思いを置いてくださって、
受け入れる者が、
少なくともこの部分においては、
〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにして生きることができるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:33~34、エゼキエル36:25~28)。

 神の子の身分と義を与えて、
神の家族として生きるようにと。

 そして、イエスと心を一つにして生きる者は、
エスがおられる所にいるようにしてくださるのだそうですから(ヨハネ12:26)。

 だから、私たちも言うのですね。
ペテロと同じように。
「主よ。私たちはだれのところに行きましょう。
あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。
私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」(マタイ6:68~69)、と。

 ですから、勧めておられるのですね。
聖霊

『きょう、もし御声を聞くならば、
荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、
心をかたくなにしてはならない。
あなたがた
イスラエルの父祖たちは、
そこでわたしを試みて証拠を求め、
40年の間、わたしのわざを見た。
だから、わたしはその時代を憤って言った。
彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。
わたしは、怒りをもって誓ったように、
決して彼らをわたしの安息に入らせない』と
言われるように、
だれも悪い不信仰な心になって
生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。
『きょう』と言われている間に、
日々互いに励まし合って、
だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。
もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、
私たちはキリストにあずかる者となるのです」(ヘブル3:7~14)、と。

今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)


[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >