風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

人生の光である言葉に、よく、耳を傾けて

あなたがたに耳を傾ける者は、
わたしに耳を傾け、
あなたがたを拒む者は、
わたしを拒むのである。
ルカ10:16(6/3の週の聖句)

 まっすぐな人には闇の中にも光が昇る。
憐れみに富み、
情け深く、
正しい光が。
詩112:4

 喜びをもって、
光の中にある聖なる者たちの相続分に、
あなたがたがあずかれるようにしてくださった
御父に感謝するように。
コロサイ書1:12

 ルカ16:19~31
 詩76(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/3;Ⅰ日曜)

 イエスは、弟子たちをイスラエルの村々に派遣されるとき、
このように言って送り出されたのだそうです。

 弟子たちにご自分の御名の権威を与え、
ご自分と一体になっている者として。
 弟子たちの語ることに耳を傾ける者は、
ご自身に耳を傾けているのだと。

 そして、このようにストレートに
ご自身に、ご自身のことばに心を向ける人たちのためには、
闇の中にも光を輝かせてくださるのだそうです。
情け深く、憐みに富み、正しい光を。

 〔父である神〕は、
御子イエスによって、
また、イエスを通して派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
ご自身の側の一方的な御業によって、
私たちを光の中にある聖なる者たちの相続分にあずかれるように
していてくださるのだそうです。

 それで、受け入れる者にうちに来られた〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちの心を、
喜びをもって御父に感謝する思いで満たしてくださるのだそうです。

 この世にいる間、毎日、ぜいたくに遊び暮らしていた金持ちと、
その門前で寝ていた、ラザロという、全身おできが出来ている貧しい人。
この貧しい人は、
金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていて、
犬もやって来ては彼のおできをなめていたのだそうです。

 この貧しい人は死んで、
御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれました。
その金持ちも死んで葬られ、
ハデス(陰府:よみ)で苦しみながら目を上げてみると、
はるかかなたに、アブラハムと、
そのふところにいるあのラザロが見えたのだそうです。

 それで、彼は叫んで言ったのだそうです。
「父アブラハムさま。私をあわれんでください。
ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、
ラザロをよこしてください。
私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。」

 するとアブラハムは言ったのだそうです。
「子よ。思いだしてみなさい。
おまえは生きている間、良い物を受け、
ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。
しかし、今ここで彼は慰められ、
おまえは悔いるしみもだえているのです」、と。

 そして、「ラザロを私の父の家に送って、
5人いる兄弟がこんな苦しみの場所に来ることのないように、
よく言い聞かせてください。
だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、
彼らは悔い改めるに違いありません」、という金持ちだった人に、

 アブラハムは、
「もし、モーセと預言者の教え、聖書の言葉に耳を傾けないのなら、
たといだれかが死人の中から生き返っても、
彼らは、聞き入れはしない」と答えたのだそうです(ルカ16:19~31新改訳)。

 だから、耳を傾け、聞くことが大切なのでしょうね。
いろいろ思う思いも、
御前に差し出し、聞いていただき、見ていただきながら。
この新しい週も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)