風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

与えてくださる栄光にふさわしい、新しい名

 主の口が定めた新しい名をもって、
あなたがたは呼ばれるであろう。
イザヤ書62:2

 羊飼いは
自分の羊の名を呼んで連れ出す。
ヨハネ10:3

 エレミヤ書20:7~11
 アモス書3:1~2、9~15(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句6/8;金)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は言われます。
「シオンのために、わたしは黙っていない。
エルサレムのために、黙り込まない。
その義が朝日のように光を放ち、
その救いが、たいまつのように燃えるまでは。

 そのとき、国々はあなたの義を見、
すべての王があなたの栄光を見る。
あなたは、主が名づける新しい名で呼ばれよう。
あなたは主の手にある輝かしい冠となり、
あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる。

 あなたはもう、
『見捨てられている』と言われず、
あなたの国はもう、
『荒れ果てている』とは言われない。
かえって、あなたは、
『わたしの喜びは彼女にある』と呼ばれ、
あなたの国は夫のある国と呼ばれよう。
主の喜びがあなたにあり、
あなたの国が夫を得るからである。
若い男が若い女をめとるように、
あなたの子らはあなたをめとり、
花婿が花嫁を喜ぶように、
あなたの神はあなたを喜ぶ」(イザヤ62:1~5新改訳)、と。

 羊飼いが、自分の羊に名を付け、
その名を呼んで連れ出し、
緑の牧場、いこいの水のほとりに導くように、
天の神、主は、私たちに新しい名を付け、
その名で呼んで下さるのだそうですね。
栄光に輝く名を。


 エルサレムはバビロン王の手に渡され、
人々はバビロンへ引いて行かれるとのエレミヤの預言は成就せず、
指導者たちはエレミヤを
神に反する預言をする似せ預言者として非難し、捕らえたのですね。

 しかし、それは、すべての人がご自分に立ち返るようにと
時間を与えてくださっている
神の忍耐、寛容のゆえだったのだそうです(Ⅱペテロ3:9)。
 
 天の神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方は、
エレミヤとともにあって、恐るべき勇士のよう。
エレミヤを迫害した者たちは、勝つことができず、成功せず、
ついに、バビロン軍によってエレミヤの預言のとおりが実現して
彼らは恥を受けることになったのだそうです(エレミヤ20:7~11)。

イスラエル王国に対しても、
天の神、主は、アモスを通して預言して言われるのですね。
「彼らは、自分たちの宮殿で、暴虐と暴行を重ねている。
わたしは、イスラエルがわたしに犯したそむきの罪を罰する。
わたしは、王の冬の家と夏の家を打つ。
その象牙をふんだんに使った家々は滅び、
多くの家々は消え失せる」(アモス3:1~2、9~15)。
そして、アッシリア軍によってそのとおりが実現したのだそうです。

 天の神、主の預言、約束のことばは必ず実現するのですね。

 〔父である神〕は、
エスが私たちに代わって受けてくださった十字架刑での処刑によって、
私たち、〔生まれたときからの私〕という霊の
そむき、「的外れ」の罪を処罰済み、処刑済みとし、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、このイエスを通して、
受け入れる者に〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
受け入れる者を、相続権を持つ「子」とし、
受け理れる者の心にご自身の御思いを置いてくださって、
受け入れる者を、ご自身と同じ思いを持つ者とし、
一つ家族としてくださるのだそうですから。
新しい名で呼んで。
今日も。

 

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