風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

見捨て、置き去りになさることはない、のだそうですから

 主よ、あなたは我々の中におられます。
我々は御名によって呼ばれています。
我々を見捨てないでください。
エレミヤ書14:9

 あなたがたは皆、
信仰により、
キリスト・イエスに結ばれて(在って、in Christ)
神の子なのです。
ガラテヤ書3:26

 出エジプト記2:11~15(16~22)23~25
 アモス書5:18~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/12;火)

 イエスは言われます。
「父よ。
あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになるためです」(ヨハネ17:21新改訳)。

 イエスは、
私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。
 
 〔父である神〕は、
そのイエスが受けてくださった処刑を、
私たちの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になり、
神にそむき、神に対立、対抗し、「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑したこと、死んだこととしてくださっているのだそうです。

 そのうえで、このことを受け入れた者に、
このイエスを通して、
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 それで、この方をお迎えし、
この方の内にいる者、
この方によって満たされ(覆われ、沈められ、漬け込まれ)ている者は、
この方と一つになっていらっしゃる
〔父である神〕、
〔御子である神、イエス・キリスト〕の中にいることになるようです。
神の子の身分を与えていただいた者として。

 それで、これを信用し、受け取った者は、
神の家族として、神の名をもって呼ばれるのだそうです。

 そして、
〔父である神〕、
〔御子である神、イエス・キリスト〕、
〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
このことを受け取っている者たちを見捨て、
置き去りにされることはない、のですね。

 エジプトで、日干しレンガ造りの激しい労働や、
畑のあらゆる労働などを課され、
過酷な労役にうめき、わめき、叫ぶイスラエル人の
嘆きを聞かれ、ご覧になり、
御心を留められた(出エジプト1:12~14、2:23~25)ように。

それで、神である主は、
ご自分の家族となった者が、
また、自分の理性を神とし、
死亡手続きが終わっている
〔生まれたときからの私〕という霊による善悪の判断のままに、
外れ、さまよい出て、他の神々に心を寄せて行くとき、
これを放置し、行くままに任せることをせず、
懲らしめ、公義と正義に立ち返るよう、
促すこともなさるようですね(アモス5:18~24)。

 家出をし、放蕩三昧をして相続財産を使い果たしている
息子の帰りを待ちわびている父親(ルカ15:11~24)のように。
心を一つにする関係になろうと。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)