風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神ご自身の知恵と力が、私たちにも来て

 互いに重荷を担いなさい。

そのようにしてこそ、

キリストの律法を全うすることになるのです。ガラテヤ書6:2(6/24の週の聖句)

 神の御名をたたえよ、
世々とこしえに。
知恵と力は神のもの。
ダニエル書2:20

 洗礼者ヨハネの言葉:
天から与えられなければ、
人は何も受けることができない。
ヨハネ3:28

 ルカ6:36~42
 詩58(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/24;Ⅳ日曜)

 

  私たちの持っているものは、

私たち自身の存在も含めて、全部、

天から与えられたもの、
〔父である神〕の御思いから出ているのだそうです。


 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)という者」と名乗られる方は、
私たち一人一人に、
綿密な計画を立てておられるのだそうです。
祝福の計画を。
ご自身の知恵と力をもって。

 だから、この、
「神のひとりのようになり、善悪を知るようになって」(創世記3:5、22)、
天の神、主に背き、
この方に対立、対抗している
〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑で、
処刑されたもの、死んだものとしていただき、

 このイエスを通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いによって生きていくとき、
私たちは、神のご計画に沿った、
意義のある、幸せな今日を生きることになるのだそうです。

 私たちの、
〔生まれたときからの私〕と言う霊から来る思いは、
自分を人よりも上に置かなければ気が済まず、
人を自分の善悪の判断のとおりに動かそうとし、
善いものをすべて、独占しようとする思いなのですね。

 でも、〔聖である霊〕と呼ばれる方が私たちの心に置いてくださる
〔父である神〕の御思いは、
相手を大切に思い合い、
互いに、相手の重荷を負い合おうと思う思いなのだそうです。

 あわれみ深い、
人を「あの人はダメな人だ」とさばいて、断定し、
罪に定めることなく、
赦していく思い、
人に与えていこうと思う思いなのだそうです。

 天の神、主は、
知恵と力を、
そして、生きていくのに必要なもの、すべてを、
量りをよくして、
押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、
私たちに与えたいと思っていてくださるのだそうですから(ルカ6:36~38)。

 この新しい週も。

 

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