風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神に聞いていく。自分の思いをイエスに差し出しながら

 悪を行う者は
そのたくらみを捨てよ。
主に立ち帰るならば、
豊かに赦してくださる。
イザヤ書55:7

 ザアカイは立ち上がって主に言った。
「主よ、私は
財産の半分を貧しい人々に施します。
また、誰かから何かをだまし取っていたら、
それを4倍にして返します。」
エスは言われた。
「今日、救いがこの家を訪れた。
」ルカ19:8~9

 使徒13:15~25
 ホセア書5:8~15(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句6/28;木)

 私たちは、
「神のひとりのようになり、
善悪を知るようになっている」(創世記3:5、22)
自分の理性の判断のままに
いろいろ計画を立てる者です。

 けれども、私たちの造り主である、天の神、主は、
ご自身の側で赦しの道を用意して、言っておられるのだそうです。
「わたしのもとに帰って来てほしい。
わたしと心を一つにして歩む者になってほしい」と。

 ザアカイは、自分の理性による善し悪しの判断のままに、
金を神とし、
人々から嫌われ、除け者にされる取税人になり、
金持ちになる道を突き進んだ人のようです。

 けれども、イエスが、
自分から進んでザアカイを名指しで呼び、
ザアカイの家の客となってくださり、
ザアカイのうちにあって、このような思いを与えられたのでしょうか。

 ザアカイは、喜びに満たされ、
誰からも、何も言われていないのに、
自分から進んでこのようにイエスに申し出たのだそうです。
財産の半分を貧しい人に施し、
だまし取った物は、4倍にして返します、と。

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
このように、
「神のひとりのようになり、
善悪を知るようになった」(創世記3:5、22)私たち、
ご自身のもとからさまよい出て、
背き、対立、対抗して生きるようになった私たち人間を、
ご自身のもとに取り戻そうとされているのだそうです。

 「われわれのかたちとして、
われわれに似せた者」(創世記1:26)に。
〔父である神〕、
〔御子である神〕、
〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
愛において、自由意思で、自発的に、一つになっていらっしゃる、
その一つに愛において、自由意思で自発的に加わる者に、と。

 それで、天の神、主は、この人間の歴史を導き、
ひとりの人、カルデヤのウルにいたアブラハムを選び、
その一族をエジプトに寄留させ、
そこで一つの民族に成長させ、
奴隷状態にされていたその民のもとにモーセを派遣し、
御腕を高く上げて、彼らをその地から導き出されたのだそうです。

 そして、アブラハムに約束しておられたとおりに、
カナンの地に民を道びき入れ、
その地を相続財産として分配されたのだそうです。

 そして、エッサイの子ダビデを、
羊を飼っている野から選び出してイスラエルの王とされました。

 そして、約束に従って、
〔御子である神〕が、
このダビデの子孫のマリヤから、
救い主イエスとして生まれるようにされたのだそうです。

 エルサレムに住む人々とその指導者たちは、
このイエスを認めず、
エスを罪に定めて、
死罪に当たる何の理由も見いだせなかったのに、
当時、イスラエルを支配していたローマの総督ピラトに、
エスを殺すよう強要し、
十字架刑で処刑させたのだそうです。

 しかし、〔父である神〕は、
墓に葬られたこのイエスを死者の中からよみがえらせたのですね。
エスは幾日にもわたり、
ご自分といっしょにガリラヤからエルサレムに上った人たちに現れ、
その人たちがイエスの復活の証人となりました(使徒13:15~31)。

 〔父である神〕は、このイエスを、ご自分の右の座に返らせ、
このイエスを通してもう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる神を受け入れる者に派遣し、
この方によって、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
私たちの心の置き、心に書きしるして、
受け入れる者がご自身と一つ思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。


 天の神、主は、
私たち一人一人を通してしようと思っておられる御思いがあるのだそうですから。
今日も。

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