風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちのそばにいて、私たちを見捨てることはなさらない方に

 主よ、
御名を知る人はあなたに依り頼む。
あなたを尋ね求める人は
見捨てられることがない。
詩9:11

 パウロの手紙:
主は私のそばにいて、
力づけてくださいました。
Ⅱテモテ4:17

 ルカ7:24~30
 ホセア書8:1~14(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句6/30 ;土)

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
義によって世界をさばき、
公正ををもって国民にさばきを行われる方。

 主はしいたげられた者のとりで、
苦しみのときのとりでとなってくださる方なのだそうです。

 それで、この方を知る者は、
この方により頼むのですね。

 この方は、
ご自身を尋ね求める者をお見捨てになることはないのだそうですから(詩篇9:8~10新改訳)。

 この方は、最期まで、
どんな時も、私たちと共に立ち、
私たちを獅子の口から助け出し、
力を与えてくださり、
私たちを通して為そうと思っておられることを
実現に至らせてくださるのだそうですから(Ⅱテモテ4:17)。

 それで、世間から、
取税人、遊女、罪びとのやからと言われていた人々は、
神のことばを受け入れて、
神の正しいことを認めたのです。

 これに反して、
自分は正しい、
自分で神の律法を守れていると思っている人々は、
神の勧めを受け入れず、
自分たちに対する神の御心を拒むのですね(ルカ7:24~30)。

 そして、神のことばを他国人のもののようにみなし、
事を行うのにも、
天の神、主によってではなく、
天の神、主に知らせることなく、
相談することもないのだそうです。

 天の神、主は、
私たちと心を一つにして生きる関係になりたいのだそうです。
「われわれのかたちとして、われわれに似せた」(創世記1:26)関係に。

 それで、
「神のひとりのようになり、
善悪を知るようになって(創世記3:5、22)、
天の神、主に背き、
この方に対立、対抗している
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせて、
処刑されたもの、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 そして、受け入れる者に、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって、
受け入れる者の心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、
受け入れる者が
〔父である神〕と同じ思い、
一つ心になれるようにしていてくださるのだそうですから。


 どこまでも、より頼む者のそばにいて、
見捨てられることはない
この方の守りの中で。
今日も。

 

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