風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

汚れた唇の者なのに

 イザヤの言葉:

災いだ。
私は滅ぼされる。
私は汚れた唇の者。
汚れた唇の民の中に住む者。
イザヤ書6:5

 偽りを捨て、
それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。
エフェソ書4:25

 使徒16:23~34
 ヨハネ4:27~42(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句7/11;水)

 

 神殿に神の臨在が満ちたとき、
それに接したイザヤは思わずこう叫んだのだそうです。

 「汚れた唇」。
〔汚れた霊〕から汚れた思いが心に来て、
それが唇から、言葉となって出て来る、ということなのでしょうか。

 ペテロも、イエスの神聖に接したとき、
エスの前にひれ伏し、
「主よ。
私のような者から離れてください。
私は罪深い人間ですから」と言ったのだそうです(ルカ5:8)。

 私たち、神の聖さに触れるとき、
「私は滅んでしまう」との畏敬の念に包まれるようです。

 けれども、〔父である神〕は、
私たちと、心が通じる者、一緒にいる者になろうとして、
〔御子である神〕を人間イエスとして人の世に派遣し、
この方を私たちの身代わりにして、
神に呪われた者として木に架け、
十字架刑で処刑されたのだそうです。

 そして、このイエスの処刑によって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。

 それで、受け入れる者は、
このままで、
はばかることなく、
神の御前に出ることができるようにしてくださるのだそうです。

 「主イエスを信じなさい。
そうすれば、あなたもあなたの家族も救われる」(使徒16:31)
のだそうですから。
だから、私も、自分でよく聞いて、
このイエスがほんとうに世の救い主だと
分かり、知る(ヨハネ4:42)ことが大切なのでしょうね。

 十字架刑での処刑を受けられたイエスは、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人のうちより、新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
雲に迎えられて、
天の父である神の右の座に帰られたのだそうです。

 〔父である神〕は、
このイエスと通して、
受け入れる者に、
もう一人の助け主、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、

 この方によって、
私たちの心に、
ご自身が、私たち一人一人に思っておられる御思いを
置いてくださるのだそうです。

 それで、受け入れる者は、
この方によって、
〔父である神〕と同じ思いを思い、
一つ心にしていただけるのだそうです。

 偽りを捨て、
隣人に対して真実を語る心にも。
今日も。

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