風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知り、畏れ敬う霊が、私にも来られて

 エッサイの若枝の上に主の霊がとどまる。
知恵と識別の霊、
思慮と勇気の霊、
主を知り、畏れ敬う霊。
イザヤ書11:2

 群衆は皆、
何とかしてイエスに触れようとした。
エスから力が出ていたたからである。
ルカ6:19

 マタイ18:1~6
 ヨハネ4:43~54(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/12;木)

 エッサイは、ダビデ王の父親です。
「エッサイの若枝」とは、ダビデ王の子孫として生まれる方のことなのですね。

 ダビデの子孫として生まれ、
天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方の霊がとどまる方。

 その霊、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
「知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、
主、「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られ方を知る知識と
主を恐れる霊」(新改訳)なのだそうです。

 イエスが、バプテスマのヨハネから洗礼を受けられ、
水から上がられたとき、
天が開け、
この〔聖である霊〕と呼ばれる方が鳩のように下って、
エスの上にとどまられたのだそうです。

 そして、天から声が聞こえたのだそうです。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」(マタイ3:16~17)、と。

 イエスに対するバプテスマのヨハネの証言は次のようです。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。
私が、『私のあとから来る人がある。
その方は私にまさる方である。
私よりも先におられたからだ』と言ったのは、
この方のことです(ヨハネはイエスよりも6か月先に生まれている)。

 私もこの方を知りませんでした。
しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、
私は来て、水でバプテスマを授けているのです。
御霊が鳩のように天から下って、
この方の上にとどまられるのを私は見ました。

 私もこの方を知りませんでした。
しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、
私に言われました。
『御霊がある方の上に下って、
その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、
その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方である。』
私はそれを見たのです。
それで、この方が神の子であると証言しているのです」(ヨハネ1:29~34新改訳)。

 このときから、イエスは、
キリスト(神の子、救い主)としての働きを始められたのだそうです。
エスの回りには、
多くの弟子たちの群れや、
ユダヤ全土、エルサレム
ツロやシドンの海辺から来た大ぜいの民衆がいたのですが、
病気の人や汚れた霊に悩まされていた人は、
何とかしてイエスにさわろうとしていたのだそうです。
大きな力がイエスから出て、すべての人をいやしたのだそうですから。

 天の御国、
このイエスが王として統治される国は、
この世の国とはちょっと違うようですね。
この世の国では、優秀な者、強い者が偉いとされます。

 あるとき、弟子たちがイエスのところに来て言ったのだそうです。
「それでは、天の御国では、誰が一番偉いのでしょうか。」
そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、
彼らの真ん中に立たせて、と言われたのだそうです。
「まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたも悔い改めて子供たちのようにならない限り、
決して天の御国には、入れません。
だから、この子どものように、
自分を低くする者が、天の御国では一番偉い人です。

 また、だれでも、
このような子どものひとりを、
わたしの名のゆえに受け入れる者は、
わたしを受け入れるのです。

 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでも
つまずきを与えるような者は、
大きい石臼を首にかけられて、
湖の深みでおぼれ死んだ方がましです」(マタイ18:1~6)。


 イエスが、ガリラヤのカナに行かれたとき、
カペナウムに病気で死にかかっている息子がいる
王室の役人がイエスのところに行き、
下って来て息子をいやしてくださるよう願ったのだそうです。

 そこで、イエスは彼に言われた。
「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」
その王室の役人はイエスに言った。
「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来て下さい。」
エスは彼に言われた。
「帰って行きなさい。
あなたの息子は直っています。」

 その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。
彼が下って行く途中、そのしもべたちが彼に出会って、
彼の息子が直ったことを告げた。
そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、
「きのう、第7時(午後1時)に熱が引きました」と言った。
それで父親は、
エスが「あなたの息子は直っている」と言われた時刻と同じであることを知った。
そして彼自身と彼の家の者がみな信じた(ヨハネ4:46~53)、のだそうです。

 私たちの身代わりになって、
十字架刑での処刑を受けてくださり、
墓に葬られ、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、雲に迎えられ、
天の、〔父である神〕の右の座に帰られたイエスは、
そして、そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
今も、このように、働いておられるのですね。

 私たちが、イエスが示された小さな子どものように、
天の神、主に向き直って、
御名を呼びながら出て行くところで、、

〔父である神〕がしようと思われるとおりの御業を
実現してくださるのだそうですから。
今日も。

 

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