風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

人を大いなる者とし、力ある者となさる方が

 主よ、
あなたの勢いと力は御手の中にあり、
またその御手をもって
いかなるものでも
大いなる者、
力ある者となさることができる。
歴代誌上29:12

 弟子たちの間で
自分たちのうちだれが一番偉いかという議論が起きた。
エスは彼らの心の内を見抜き、
ひとりの子どもの手を取り
自分のそばに立たせた。
ルカ9:46~47

 Ⅰコリント10:16,17
 ヨハネ6:1~15(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句7/19;木)

 人が、大いなる者となったり、力ある者となるのは、
天の神、主と呼ばれるお方がなさることだとダビデは言うのですね。

 イエスは、弟子たちの中から、特別に12弟子を選ばれましたけれど、
その選ぶ基準は、
毛並みのいい者、優秀な者をというのではなかったようです。

 当時、
優秀な者、毛並みのいい者は
エルサレムにいっぱいいましたから。

 でも、イエスが選ばれた12弟子は、
ガリラヤ地方のただの漁師だったり、
人からのけ者にされている取税人だったりの、
学歴もない、名もない、
この世の取るに足りない者や見下されている者(Ⅰコリント1:27~28)だったようです。

 けれども、その12弟子の間でも、
誰が一番偉いのかという意識が常に心にあったようです。

 それで、イエスは、弟子たちの心を見抜き、
ひとりの子どもの手を取り
(呼び寄せたのではなく、手を取って来させたのですから、
本当に小さな子だったのでしょうね)、
自分のそばに立たせ、言われたのだそうです。
「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、
わたしを受け入れる者です。
また、わたしを受け入れる者は、
わたしを遣わされた方を受け入れる者です。
あなたがたすべての中で一番小さい者が一番偉いのです」(ルカ9:46~48)。

 天の御国で、イエスの御座の近くに立つ者は、
私たち仲間の中で、信仰深く、立派にやっている、
みんなに認められている人ではなく、
みんなから無視され、
「こんな人」と思われているような人なのかもしれませんね。

 神は、知恵ある者をはずかしめるために、
この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、
この世の弱い者、取るに足りない者やみくだされている者、
無に等しい者をあえて選ばれるのだそうですから(Ⅰコリント1:27~28)。


 パウロは言うのですね。
「私たちが祝福する(聖餐式の)祝福の杯は、
キリストの血にあずかることではありませんか。
私たちの裂くパンは、
キリストのからだにあずかることではありませんか。
パンは一つですから、
私たちは、多数であっても、一つのからだです。
それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです」(Ⅰコリント10:16、17)、と。

 からだには多くの肢体があります。
その、それぞれの肢体に意思があるとして、
それぞれが自分の善いと思うことをやっていったら、
からだは分裂してしまいます。

 からだの肢体は、
それぞれの役目、分を果たし、
その人の意思のとおりに動くことでからだを構成していくことができるようです。

 イエスが、人々を避けて、
ガリラヤ湖の向こう岸に行かれ、山に登られたとき、
エスが病人たちになさっていたしるしを見た多くの人たちが
エスを追いかけて来たのだそうです。

 日も傾いたとき、
エスは、人々を空腹のまま帰らせたくないと思われたのだそうです。
それで、男だけで5千人いた人々を、50人ずつ草の上にすわらせ、
ちょうど、少年が持っていた大麦のパン五つと小さい魚二匹を取り、
感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられたのだそうです。
そして、彼らが十分食べ、余ったパン切れを集めると、
12のかごがいっぱいになったのだそうです。

 けれども、人々は、
エスの心を理解しようとも、聞き従おうともせず、
自分の信仰の基準に従って、
エスを王として担ぎ出し、
ローマ軍に対抗し、ダビデの王国を再現しようと、
エスをむりやりに連れて行こうとしたのだそうです。
 パンは食べたけれど、イエスのからだに加わるのではなく。

 天の神、主は、
私たちにも、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっていて、
神にそむき、対立、対抗している「的外れ」の自分の実体を分からせ、
エスの御前に差し出し、見ていただくようにさせてくださり、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が、
〔父である神〕の御思いを心に置いてくださって、
聞いていくようにさせてくださるのだそうですね。

 イエスというパンを食べた者、
エスのからだに加えられ、
〔父である神〕の御思いで動いていく者に。

 小さい子どものように
天の神、主がなさるままを受けていく者に。
今日も。

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