風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

喜びがあふれて

 主は
彼らに喜びを与えられた。
エズラ記6:22

 

 信者たちは
毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、
喜びと真心をもって
一緒に食事をした。
使徒2:46

 

 マタイ9:27~34   

 Ⅰヨハネ2:7~11(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句8/20;月)

 

 70年にわたるバビロンの捕囚から帰還した人々は、
エルサレムの神殿を建て直す工事を、
アッシリア、バビロンに代わったペルシャの王

ダリヨスの治世の第6年(BC515年)、

アダルの月(イスラエル歴の12月、太陽暦では2~3月)3日に完成し、
奉献式を行なったのだそうです。

 そして、翌月、第一の月の14日に
過ぎ越しのいけにえをほふり
そして、それに続く7日間の種を入れないパンの祭りを行なったのだそうです。
天の神、主が、彼らに喜びを与えられて。

 それからおよそ540年ほど後の過ぎ越しの祭りのとき、
エスは、このエルサレムの城壁の外で
十字架刑での処刑を受けられ、
その血をささげてくださったのだそうです。

 そして、たぶん、このイエスが処刑された年は、
通常の安息日(金曜日の日没から土曜日の日没まで)と、
種なしパンの祭り
(この期間中、食事を作り事以外のどんな仕事もしてはならない)の
第一日が重なった「大いなる日」であったようです(ヨハネ19:31)。

 イエスは、
処刑され、
安息日が始まろうとするので、
急いで、近くにあった、
アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に納められたのですが、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、
上げられ雲に迎えられ見えなくなられたのだそうです。

 「エルサレムから離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
もう間もなく、
あなたがたは聖霊バプテスマを受けるからです」と言い残して。

 そして、10日後の「五旬節(ペンテコステ)」、
モーセを通し、
イスラエルの民に律法が示され、
旧い契約が結ばれた記念の祭りの日に、

 〔聖である霊〕と呼ばれる方が
弟子たちのところに来られて、
弟子たちは、
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いのとおりに、
他のことばで話し出し、
新しい契約(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)が実現したのだそうです。

 そして、ペテロたちが、
〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
御思いのままに語っていったとき、
心刺され、
エスを救い主、キリストとして信じ受け入れた人たちが、
男だけで3千人ほど起こり、
また、毎日、仲間に加わる人が起こり、

 彼らは毎日、心を一つにして宮に集まり、
家々で集まってパンを裂き、
食事をともにし、
神を賛美していたのだそうです。
喜びと真心をもって。

 

 イエスが、道を通って行かれると、
ふたりの盲人が大声で
ダビデの子よ。
私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来て、
家の中にまでやって来たのだそうです。

 イエスが、
「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、
彼らは
「そうです。主よ」と答えたので、
エスは、彼らの目にさわって、
「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
すると、彼らの目があいた。

 イエスは彼らをきびしく戒めて、
「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われたのですが、
彼らは出て行って、
エスのことをその地方全体に言い広めたのだそうです。
喜びがあまりにも大きかったので(マタイ9:27~31)。


 私たちも、
わたしたちのうちから出て来る「兄弟を憎む」思いは、
〔父である神〕、
〔御子である神〕イエス
〔聖である霊〕と呼ばれる神の
御前に差し出し、
見ていただき、知っていただき、
明るい、光の中の出来事にしていただきながら、

 〔聖である霊〕と呼ばれる神が心に置いてくださる
〔父である神〕の御思い、
「兄弟を愛する」思いに満たされて行くのだそうです(Ⅰヨハネ2:7~11)。
喜びの中で。

今日も。

 

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