風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

光の中を歩む

 あなたたちのもとにある

外国の神々を取り除き、

主に心を傾けなさい。ヨシュア記24:23

 

 光の子として歩みなさい。エフェソ書5:8

 

 Ⅱテサロニケ3:6~13

 黙示録2:8~11(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句10/15;月)

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、

天の神、主、

「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方に対抗して、

いろいろな神々を作り出すもののようです。

自分の欲を遂げてくれる、

自分に都合のいい神を。

自分の理性の思うままに。

 

 それでヨシュアイスラエルの民に言ったのですね。

「あなたがたが、主、

「『わたしはある(Iam)』という者」と名乗られる方を選んで、

主に仕えるというのなら、

あなたがたの中にある、この方以外の神々を除き去り、

この方に心を傾けなさい」と。

 

 そして、使徒パウロを通しては、

エスの中にある者としていただいて、

暗やみのわざ、

「的外れ」になり、ズレてしまっているわざを

明るみに、イエスの前に差し出し、

見ていただき、知っていただいて、

明るみに引き出されたもの、

光によって照らされたものとしていただきなさい、と。

 

 私たちの身代わりとなって、

十字架刑での処刑を受けて、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を

処刑済みのもの、死んだものとしてくださり、

墓に葬られ、

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、

天の父である神の右の座に帰られたイエス

 

そのイエスを通して来てくださる

〔聖である霊〕と呼ばれるお方。

その方が受け入れる者の心に置いてくださる〔父である神〕の御思い。

 

 それは、締まりのない歩み方、

何の仕事もせず、おせっかいばかりする

締まりのない歩み方ではなく、

静かに仕事をし、自分で得たパンを食べ、

たゆむことなく善を行おうとする思い、

なのだそうですから(Ⅱテサロニケ3:6~13)。

 

 苦しみと貧しさの中にあっても、

悪魔が私たちをためし、牢に投げ入れるようなことがあっても、

死に至るまで忠実であらせてくださり、

いのちの冠をいただけるようにしてくださるのだそうですから(黙示録2:8~11)。

 

 光の子として。

今日も。

 

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