風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

燃える怒りをやめ、災いを思い直すよう、執り成す者を自ら準備して

モーセは主なる神をなだめて言った。

「主よ、どうか、燃える怒りをやめ、

ご自身の民にくだす災いを

思い直してください。」出エジプト32:11~12

 

 誰が私たちを罪に定めるのか。

死んだ方、

否、むしろ、復活させられた方である

キリスト・イエスが、

神の右に座し、

私たちのために執り成してくださるのです。ロマ8:34

 

 マタイ5:2~10(11~12)

 ロマ3:21~28

 黙示録8:6~13(通読箇所)

  (ローズンゲン日々聖句10/31;水)

 

 〔父である神〕は、

自身の民に対する燃える怒りをやめ、

下すべき災いを思い直したいと思っていらっしゃるようですね。

 

 それで、モーセが民のために執り成したように、

執り成す者を求めておられるのだそうです。

 

 〔父である神〕は、この執り成す者を立てるために、

〔御子である方〕を人として人の世に派遣し、

私たちが受けるはずの怒りを、この方の上に注ぎ、

この方を

「神に反逆し、神に呪われた者として十字架刑で処刑し、

その処刑を、私たちすべての人間の処刑としてくださったのだそうです。

私たちを処罰が終わっているもの、

処刑が済んでいるものとするために。

 

 そして、このことが事実であり、完成している証明として、

死んで葬られたイエスを、

三日目、日曜日の早朝、

死者の中から新しい霊のからだに復活させ、

ご自身の右の座に呼び戻されたのだそうです。

 

 そして、今は、イエスを、

神の右の座にあって、

ご自分のいのちをもって私たちのために執り成す者、

弁護する者として立てていてくださるのだそうです。

 

 〔父である神〕は、

律法を自分の努力で守って、

神の合格点に達しようとする生き方とは別に、

しかも、律法と預言者旧約聖書によって証言しながら、

ご自身の義を示しておられるのだそうです。

 

 それは、イエス・キリストに信頼することによって、

神が与えてくださる義であって、

すべて、イエスを信頼する者に与えられ、

そこに、なんの差別もないのだそうです。

 

 すべての人は、

神の創造の目的から「的外れ」になっていて、

神からの栄誉を受けることができず、

 

 ただ、神が、ご自身の側で、一方的に、

〔御子である方〕を人間イエスとして、

この人間の歴史の中に派遣し、

この方のいのちを支払って用意した義を与えいただくことで、

なんの功績、働きもない私たちも義と認めていただけるのだそうです。

 

 私たち、自分の努力で神の基準に達し、

その自分の義を認めてもらう生き方ではなく、

神に信頼し、約束を受け取る、もらうことで

義としていただけるのだそうですから(ロマ3:21~28)。

 

 そして、私たちの救いの業を完成して、

〔父である神〕の右の座に帰られたイエスは、

もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を

受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。

 

 この方は、受け入れる者に来て、

受け入れる者の心に

〔父である神〕の御思いを置いてくださり、

受け入れる者が

〔父である神〕と一つ心になるよう働いてくださるのだそうです。

 

 「心の貧しい者は幸いです。

天の御国はその人たちのものだから。

悲しむ者は幸いです。

その人たちは慰められるから。

柔和な者は幸いです。

その人たちは地を受け継ぐから。

義に飢え渇く者は幸いです。

その人たちは満ち足りるから。

あわれみ深い者は幸いです。

その人たちはあわれみを受けるから。

心のきよい者は幸いです。

その人たちは神を見るから。

平和をつくる者は幸いです。

その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

義のために迫害されている者は幸いです。

天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5:2~10新改訳)

との御思いに。

 

 そして、やがて起こる、

神のラッパが鳴り響き、

血の混じった雹と火とが降って来て、

地上の三分の一が焼け、

木の三分の一が焼け、

青草が全部焼けてしまったり、

 

 また、火の燃える大きな山のようなものが、海に投げ込まれ、

海の三分の一が血となって、

海の中にいたいのちあるものの三分の一が死に、

舟の三分の一が打ち壊されてしまったり、

 

 また、たいまつのように燃えている、

「苦よもぎ」と呼ばれる大きな星が天から落ちて来て、

川々の三分の一とその水源に落ち、

川の水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなって、

多くの人が死んだり、

 

 また、太陽の三分の一と、

月の三分の一と、星の三分の一とがうたれて、

三分の一は暗くなり、

昼の三分の一は光を失うような(黙示録8:6~13)ときにあっても。

 

 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

私たちの心が〔父である神〕の心とひとつになるよう、

働いてくださるのだそうですから。

今日も。

 

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