風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

死と陰府の鍵を持っておられる方が

教えてください、主よ、

私の行く末を、

私の生涯はどれほどのものか、

悟れるように。詩39:5

 

 恐れるな。

私は最初の者にして最後の者、

また生きている者である。

一度は死んだが、

見よ、世々限りなく生きて、

死と陰府の鍵を持っている。黙示録1:17~18

 

 Ⅰテサロニケ5:9~15

 イザヤ書6:1~13(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/29;木)

 

 もしあなたがあなたの神、

主の御声によく聞き従うなら、

あなたは入るときも出て行くときも

祝福される。申命記28:1、6

 

 その夜パウロが幻を見、

一人のマケドニア人が

「こちらに来て私たちを助けてほしい」と願ったので、

私たちはすぐに出発した。

彼らに福音を告げ知らせるために

神が私たちを召されたのだと

確信するに至ったからである。使徒16:9~10

 

 ヘブル書13:10~16

 イザヤ書7:1~9(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句11/30;金)

 

 私たちは死に対して恐れを感じ、

この生涯がいつ終わるのかを気にしています。

 

 けれども、イエスは言われるのですね。

恐れなくていいと。

 

 それは、イエスが、最初の者にして最後の者、

永遠に生きておられる方だから、なのだそうです。

 

 イエスは、私たちの身代わりとなって、

私たちの、創造の目的からの「的外れ」の責任を

ご自身に負って十字架刑での処刑を受け、

死んで墓に葬られた方なのですが、

 

 三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、

世々限りなく生きておられる方。

死と陰府の鍵を持っておられる方、

死と陰府を治めておられる方なのだそうですから。

 

 だから、この方にお願いしていけば大丈夫、なのだそうです。

エスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

私たちが目覚めていても、眠っていても、

主、イエスと共に生きるようにしてくださるのだそうですから。

 

 この方が心に置いてくださる御心によって、

私たちも、互いに励まし合い、

互いに徳を高め合い、

悪をもって悪に報いず、

いつも善を行うようにしていただけるのだそうです(Ⅰテサロニケ5:9~15)。

神の祝福の中で。

 

 あの、パウロがそうであったように、

私たちも、〔父である神〕が、

私たち一人一人を通してしようと思われることを

していくようになるのですね。

 

 後に来ようとしている都を目指して。

賛美のいけにえをささげながら(ヘブル13:14~15)。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

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