風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

責任の重荷を、雲、霧のように吹き払ってもらって

わたしは

あなたの背きを雲のように、

罪を霧のように吹き払った。

わたしに立ち帰れ、

わたしはあなたを贖(あがな)った。イザヤ書44:22

 

 神が御子を世に遣わされたのは、

世を裁くためではなく、

御子によって世が救われるためである。ヨハネ3:17

 

 Ⅱコリント5:1~10

 イザヤ書26:1~ 6 (通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句12/13;木)

 

 〔父である神〕が、

〔御子である神〕を、

処女マリヤの胎を通して、

人間イエスとしてこの人間の歴史の中に派遣されたのは、

私たちを滅びから救おうとしてのこと、だったのですね。

 

 〔父である神〕は、

私たちの背き、

創造の目的から「的外れ」になってしまっている責任を

吹き払ってくださったのだそうです。

風が雲を吹き飛ばし、霧を吹き払うように。

 

 〔父である神〕は、

この、人間となられた〔御子〕である方、イエスがおよそ33歳になられた頃、

この方を私たちすべての人間の身代わりとして立て、

この方に私たち人間のすべての背き、「的外れ」の責任を負わせて、

神にそむいた者、神に呪われたものとして

十字架刑で処刑されたのだそうです。

 

 そして、私たちをこのイエスに合わせられたものとし、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、

処罰が終わったもの、処刑済み、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、受け入れる者に、

もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、

この方によって、

受け入れる者の心に、

ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださり、

書きしるしてくださって、

受け入れる者の心にご自身の思いがあるようにしてくださり、

受け入れる者がご自身と思いを同じくし、

心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)

私たちの「背き」、「的外れ」を吹き払い、

エスがそうであったように、

神に喜ばれることを自分の喜び、生きがいとする者にしてくださって。

 

 それで、私たちに、これを受け取っておくれ、帰って来ておくれと、

わたしと心を通い合わせ、思いを一つにしながら生きようよ、と

呼びかけておられるのだそうです。

 

 そして、さらに、

私たちの住まいである地上の幕屋(テント、肉体のこと)がこわれても、

神は、新しい建物(霊のからだ、復活のからだ、天使のからだのような)を

着せてくださるのだそうです。

 

 それを着たなら、もう脱ぐ(死ぬ)ことはないのだそうですから。

 

 いずれにしても、私たちはみな、イエスの裁きの座に現れて、

善であれ悪であれ、

各自、この世で、

その肉体にあってした行為に応じて

さばきを受けることになるのだそうですから(Ⅱコリント5:1~10)。

 

 私たち、

エスが受けてくださった十字架刑での処刑によって、

「背き」、「的外れ」を霧のように吹き払ってもらって、

〔父である神〕と思いを一つにしながら生きていきたいですね。

 

 「いつまでも主に信頼せよ。

ヤハ、主は、とこしえの岩だから」(イザヤ26:4)

とうたいながら。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)

 

 

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