風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

人を責めたり、なじる思いは、湧き出てきますけれど

ヨセフは、兄弟たちに
「途中で、争わないでください」と言った。
創世記45:24

 

 互いに忍び合い、
責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。
主があなたがたを赦してくださったように、
あなたがたも同じようにしなさい。
コロサイ書3:13

 

 ヨシュア記24:1~2a、13~18、25~26
 創世記1:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2019年1/2;水)

 

 

 主の慈しみに生きる人の魂を
主は守り、
神に逆らう者の手から助け出してくださる。
詩97:10

 あらゆる恵みの源である神、
キリストを通して
あなたがたを永遠の栄光へ招いて下さった神ご自身が、
しばらくの間苦しんだあなたがたを
完全な者とし、
強め、力づけ、
揺らぐことがないようにして下さいます。
Ⅰペテロ5:10

 

 出エジプト2:1~10
 創世記1:14~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/3;木)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちに問うはずの責めるべきこと、
問うはずの責任のすべてを
ご自身に負って、
私たちを赦していてくださるのですね。

 

 〔御子である神〕が、
「女の子孫」(創世記3:15)、人間イエスとなって人の世に来られ、
ご自身を十字架刑での処刑に渡して。

 

 そして、自分の正当性を主張し、
人を赦そうとしない
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
このイエスに合わせられたものとして、
エスと一緒に十字架刑で処刑されたもの、
死んだものとしてくださるのだそうです。

 

 そして、イエスは、
処刑された場所の近くにあった

アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国について語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に復帰されたのですが、

 

 そのイエスを通して来てくださるもう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを、
受け入れる者の心に置いてくださり、
私たちの心に
〔父である神〕の御思いがあるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~38、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、私たちの心にも、
この方だけを「私の神」として(ヨシュア24:15、18)、
この方の御思いのとおりに生きたいと思う思い、
人が私に対してした責めるべきことを赦す思いも来るようになるのだそうです。

 

 天の神、主は、
そのようにご自身と思いを一つにして生きる者を守り、
助け出し、
完全な者とし、
強め、力づけ、
揺るぐことのない者とし、
ご自身と同じ永遠の栄光で包んでくださるのだそうです。

 

 私たちも、
いよいよ、キリスト・イエスの中に居続け、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊を、
さまざまな情欲とともに十字架につけてしまっていることを認めながら、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る
〔父である神〕の御思いに導かれ、進むようにしていただけるのだそうですから。

 この新しい年も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。
また、教会に行っていないけれど、葬儀はキリスト教で等の

お問い合わせもどうぞ。)

 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >

<imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a