風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

生きさせようと。私たちを、あの方

 

神は御言葉のゆえに、
心のままに
このように大きな御業を
ことごとく行ってくださいました。
サムエル記下7:21

 神は、
独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、
私たちが生きるようになるためです。
ここに、
神の愛が私たちの内に示されました。
Ⅰヨハネ4:9

 

 エフェソ書4:17~24
 創世記3:14~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/9;水)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
約束の御言葉のゆえに、
心のままに
私たちに大きなことをしてくださっている方なのですね。

 

 神ご自身が来られて、
私たちを贖(あがな)い、
ご自身の民としてくださるのです。

 

 〔父である神〕は、
私たち一人一人を、なお、愛し続けていてくださって、
私たちが「生きる」ようにしようとしていてくださるのだそうですから。

 

 〔独り子である神〕を
「女の子孫」(創世記3:15)として、
ヨセフと婚約中のダビデの子孫である
一人の貧しい処女マリヤの胎を通して、
人間イエスとしてこの人間の歴史の中に派遣し、

 

 この方がおよそ33歳の頃、
この方を私たちの身代わりの贖いの小羊として立て、
ユダヤ人の指導者たちの妬みを用い、
ローマ兵の手によって十字架刑で処刑され、
私たちの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になってしまっている、
私たちの〔生まれたときから私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしてくださり、
私たちの「的外れ」の責任が果たされたことにしてくださっているのだそうですから。

 

 そのうえで、受け入れる者にもう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣し、
この方の働きによって、私たちの心に、
私たち一人一人に対する御自身の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が、
〔生まれたときからの私〕という霊から来る思いによって生きるのではなく、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る
〔父である神〕の御思いによって生きるようにしてくださるのだそうですから
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 霊によって新しく生まれた者となって(ヨハネ3:3~8)、
本当の意味で「生きる」ようにしてくださるのだそうです。

 人を欺く情欲によって滅びていく〔生まれたときからの私」を
死んだもの、古いものとして脱ぎ捨て、
〔聖である霊〕と呼ばれる方お迎えして、心を新しくしていただき、
真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された
新しい人を身に着せて(エペソ4:22~24)。

 

 神は、
自分たちが裸であることを知り、

いちじくの葉をつづり合わせて、
自分たちの腰をおおっていたアダムとエバに、
動物を殺して、その皮によって衣を作り、
彼らに着せてくださったように(創世記3:21)、
私たちが 〔父である神}と思いを一つにして、
新しく生きるためは、
約束の言葉のとおりに、
御子である方を十字架刑で処刑することまでして。

 

今日も。

 

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