風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

神の御手に守られて

私たちは、
道中の待ち伏せる敵の攻撃も、
神の御手に守られて、
免れることができた。
エズラ記8:31

 わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。
わたしは彼らを知っており、
彼らはわたしに聞き従う。
彼らに永遠の命を与える。
彼らは決して滅びず、
だれも彼らを
わたしの手から奪うことはできない。
ヨハネ10:27~28

 

 Ⅰヨハネ1:5~7
 創世記4:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/10;木)

 

 イエス様の当時、
イスラエルでは、
羊飼いは、自分の羊一匹一匹に名を付けていて、
その名を呼ぶのだそうです。

 

 すると、羊は自分の羊飼いの声を聞き分けて
出て来るのだそうです。

 

 それで、羊飼いが、
羊の群れの先頭に立って歩いて行くと、
羊はその羊飼いの後を、トコトコとついて行くのだそうです。

 

 そのように私たちも、
まことの羊飼いであるイエスの声を聞き分けて
ついて行くようにしていただけるのだそうですね。

 

 そして、イエスは、
ご自身について来るものに永遠の命を与えてくださる、
というか、
この、イエスとの関係が永遠の命なのですね(ヨハネ17:3)。

 

 そして、だれも、
エスの手から私たちを奪うことはできない。

 

 

 紀元前457年の頃のこと、
エズラが、
ペルシャの王、アルタシャスタの命を受けて、
神の宮への奉納物を携え、
バビロンからエルサレムに帰って来る時、

 

 かつて、王に
「私たちの神の御手は、
神を尋ね求めるすべての者の上に幸いを下し、
その力と怒りとは、神を捨てるすべての者の上に下る」
と言っていたので、
道中の敵から自分たちを守る部隊と騎兵たちを王に求めないで、
みなで断食して、
自分たちと持ち物のために、
道中の無事を神に願い求めたのだそうです。

 

 天の神、主は、彼らの願い求めに答えて、
待ち伏せする敵の手から彼らを守り、
無事にエルサレムに着かせてくださったのだそうです。

 

 そのように、神は私たちも守ってくださるのですね。
天の御国に無事に着くまで。

 

 イエスを通して私たちに来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちが、
私たちの闇の部分、神に隠している部分を
全部、神の光の中に差し出し、
光の中の出来事、明るい出来事にしてくださり、
互いに交わりを保ち、
御子イエスの血がすべての罪から
私たちをきよめるようにしてくださるのだそうですから(Ⅰヨハネ1:5~7)。

 

 カインのように、
弟殺しの罪を指摘されて
神の前を去るのではなく(創世記4:1~16)、
ヤコブのように、
罪の場所で、
なお、いっそう、神にしがみつきながら(創世記32:24~28)。

今日も。

 

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