風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

塵、あくたの中から引き上げて、神の子の栄光に輝かせようと

私たちの神、主に並ぶ者があろうか。
主は御座を高く置きなお、
低く下って天と地をご覧になる。
弱い者を塵の中から起こしてくださる。
詩113:5~7

 

 キリストは、
神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
自分を無にして、僕の身分になり、
人間と同じ者になられました。
フィリピ書2:6~7

 

 ルカ13:31~35
 サムエル記上4:11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/4;月)


 神と呼ばれるものは日本にもたくさんあります。
しかし、聖書が伝えている方のような神はほかにはいないのですね。

 

 この方は、高い御位に座しておられ、
それだけではなく、低く、低く下って、
下から弱い者を塵の中から起こし、
貧しいものをあくたの中から引き上げてくださる方。

 

 〔御子である神〕は、
神の身分、神と等しい、神の御姿である方なのに、
そのあり方に固執しようとは思われないで、
ご自分を無にして、神の身分を捨て、
仕える者の姿をとり、
人間と同じ者になられました。
人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、死にまで従い、
実に十字架刑での死にまで従われました。
私たちを塵、あくたの中から引き上げ、
新しく生きる者とするために。


 それで、イエスは、
エスをほかの方向に逃げ出させようとしたパリサイ人たちに言われたのですね。
「よく見なさい。
わたしは、きょうと、あすとは、
悪霊どもを追い出し、
病人をいやし、
三日目に全うされます。

 

 だが、わたしは、
きょうも明日も次の日も(エルサレムに向かって)進んでいかなければなりません。
なぜなら、預言者
エルサレム以外の所で死ぬことはありえないからです」(ルカ13:31~33)、と。

 

 祭司エリの息子、ホフニとピネハスが、
神のことばのとおりに死んだように(Ⅰサムエル2:12~17、3:11~14、4:11)、
エスも、旧約聖書に預言されているとおりに、
〔父である神〕の御思いに従って、
私たち、すべての人間の身代わりとなり、
私たちの「的外れ」の責任を負って十字架刑での処刑を受けるために
エルサレムに向かって進んで行かれたのだそうです。
私たちを新しい生き方をする者にしようとして。

 

 神は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:22)、
「的外れ」になっている、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
このイエスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、
死んだもの、処刑が終わっているものとしてくださるのだそうです。

 

 そのうえで、受け入れる者に
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、
ご自身と一つ心になるようにしてくださるのだそうです。

 

 「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、
「わたしたちが一つであるように、
(わたしたちと)一つである」(ヨハネ17:21~23)者に。

 塵、あくたの中から私たちを引き上げ、
神の子の身分を与え、
エスと同じ栄光に輝く者にしようと。

 

 このようなことをしてくださる神は、
ほかにはいないのですから。

 それで、私たちもサムエルのように言うのですね。
「主よ。お話しください。
しもべは聞いております」(Ⅰサムエル3:10)、と。
神の御思いの中へ。
今日も。

 

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