風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

前にある希望に向かって

主はその民の避け所、
イスラエルの人々の砦である。
ヨエル書4:16(新改訳では3:16)

 

 目指す希望を持ち続けようとして
世を逃れて来た私にとって、
この希望は、
魂にとって頼りになる、
安定した錨のようです。
ヘブル書6:18~19

 

 コロサイ書3:(5~7)8~11
 サムエル記上6:1~7:1(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/7;木)

 
 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は
ご自身を信頼する者の避難所、
しっかりしたビルディングのようであってくださる方、なのですね。

 

 神は、私たちが目指す希望、
私たちの前に置かれている望みを持ち続けるよう励ましてくださって、
安定した、安全で確かな錨のように、
私たちが別の方向に流されることなく、
天の御国の神の御座の御前にまで
連れて行ってくださるのだそうですから。

 

 天の神、主は、
私たち自身である、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせて
処刑されたもの、死んだものとしていてくださるのだそうです。

 

 それで、私たちは、
この、〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思い、
不品行、汚れ、情欲、悪い欲、
むさぼり、怒り、憤り、
悪意、そしり、口から出るはずべき言葉を、
死んだものから出て来たものであると認めて、計算して、
光の中へ、神の御前に投げ捨て、
見ていただき、知っていただくのですね。

 

 そして、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活したイエス

 

 40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国について語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスを通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方。

 

 この方が、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っていてくださる御思いを
私たちの心に置いてくださるので(エレミヤ31:31~33、エゼキエル36:25~28)、
受け入れる者は、
〔父である神〕と同じ思いを思い、
一つ心になって生きる(ヨハネ17:21~23)者に、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって新しく生まれた者(ヨハネ3:1~8)、
新しい人を着て生きる者にしていただけるのだそうです。

 

 イエスと一つになり、
エスを私のすべてとして(コロサイ3:5~11)。
この希望の中を。
今日も。

 

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