風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

心は、喜び躍り、賛美の歌に満たされながら

私の心は
御救いに喜び躍ります。
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 あなたがたの中で苦しんでいる人は、
祈りなさい。

喜んでいる人は、
賛美の歌を歌いなさい。
ヤコブ書5:13

 

 申命記8:11~18
 サムエル記上10:17~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/13;水)

 

 私たち、苦しんでいる時は、
その苦しい心をそのままに天の神、主に申し上げ、
見ていただき、知っていただくといいのだそうですね。

 天の神、主は聞いていてくださり、
見ていてくださって、
いつしか、その苦しいところも通り過ぎさせてくださる。

 

 天の神、主は、私たちに御救いの御業を体験させて、
私たちの心が喜び躍るように、
賛美の歌にあふれるようにしてくださるのだそうですから。

 

 ただ、その時、気をつけないといけないことがあるのですね。
私たちの「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
天の神、主からの豊かな恵みの扱いを受け、
豊かになり、心喜ぶとき、
心のどこかで
「この私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだ」(申命記8:17)
と思っているのですから。

 

 ですから、私たちは、
その思いの出どころである
私の〔生まれたときからの私〕という霊は、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせていただいて
処刑済みとされたもの、
死んだものであると、はっきり認めて(ロマ6:11)、
その思いもそのまま
〔父である神〕の、
〔御子である神〕イエスの御前に投げ捨て、かなぐり捨てながら、
そして、
エスを通して来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る
〔父である神〕の御思いを私の思いとしながら歩むですね。

 

 イエスがそうであったように、
いよいよ、私に関わる〔父である神〕の御思いが成ることを願い、
喜びと賛美に満たしていただきながら。

今日も。

 

 

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