風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

父なる神の完全の中へと

主は正しくいまし、
恵みの業を愛される。詩11:7

 

 あなたがたの父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。
マタイ5:48

 

 ロマ書6:12~18
 サムエル記上13:1~23(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句3/16;土)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
正しく、正義を、恵みの業を愛される方。
ご自身が完全であられるように、私たちを完全な者としてくださる方。

 

 私たち、この方によって
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」造られていながら(創世記1:26)、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになり、
「的外れ」になっているものです(創世記3:5、22)。

 けれども、神である主は、
そのような「的外れ」、
出来そこないになっている私たちを廃棄処分にしようとせず、
なお、大切に思っていてくださって、
私たちを最初の創造の目的のとおりに回復しようとしていてくださるのだそうです。

 

 イエスが言われたとおりの、
「それは、父よ、あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになり、
わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つである」(ヨハネ17:21~23)者へと。

 

 それで、〔父である神〕は、
〔御子である神〕を預言のことばのとおりに、
「女の子孫」として(創世記3:15)、
アブラハムの子孫であるダビデ(Ⅱサムエル7:11~17)、
その子孫である処女マリヤの胎を通して(ルカ1:26~38、3:23~38)、
人の世に派遣されたのだそうです。

 

 この方は、およそ33歳の頃、
〔父である神〕の御思いのとおりに、
私たち人間の「的外れ」の責任のすべてを背負って、
十字架刑での処刑を受けてくださいました。

 〔父である神〕は、
このイエスが受けられた十字架刑での処刑によって、
私たちすべての人間の処罰が終わったものと
していてくださるのだそうです。

 

 私たちの、
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているもの、
罪に対しては死んだものとしてくださって(ロマ6:11)。

 さらに、〔父である神〕は、
死んで墓に葬られた御子イエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現させて、
神の国について語らせた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、天に上げられ、
ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。

 

 そして、このイエスを通して、
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって、私たちの心に、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
書きしるしてくださって、
受け入れる者の心にご自身の思いがあるようにして、
受け入れる者がご自身と心と思いを一つにする者にしてくださるのだそうです。

 

 それで、これを受け入れる者は、
神に対して生きる者にしていただけるのですね(ロマ6:12~18)。

 

 神の御心によって生きる、
霊によって新しく生まれた者に。
父が完全であられるように完全な者に。
今日も。

 

 

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