風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

天の雲に乗って来られる方に

彼は立って、群れを養う。
主の力によって。
ミカ書5:3

 

 地上のすべての民族は悲しみ、
人の子が大いなる力と栄光を帯びて
天の雲に乗って来るのを見る。
マタイ24:30

 

 マタイ10:34~39
 サムエル記上24:1~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/29;金)

 

 イスラエルの支配者としてベツレヘムで生まれた方。
その方は、立って、
【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の力と、
彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼い、
彼らは安らかに住まうようになるのだそうです。
彼の威力が地の果てにまで及ぶので。

 

 その方が、人の世に最初に来られたときには、
宿屋にも居る所がなく、
物置になっていた家畜小屋の石の飼い葉おけに
布にくるんで寝かされていたのだそうです。

 

 誰も気付く者もなく、
天使のお告げを受けた貧しい羊飼いたちと、
星を見た東方の博士たちのほかには知る者もなく。

 

 そして、ナザレ村の貧しい大工の息子として育ち、
およそ33歳の頃、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任をご自身に負って、
神に呪われた者となって
十字架刑での処刑を受けられたのだそうです。

 

 死んで、
処刑場の近くにあったアリマタヤのヨセフの墓に葬られたこの方は、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の〔父である神〕の右の座に復帰されたのですね。

 

 そして、二度目に来られる時には、
いなづまが東から出て、西にひらめくよう、なのだそうです。
太陽は暗くなり、月は光を放たず、
星は天から落ち、
天の万象は揺り動かされるのですね。

 

 地上のあらゆる種族は、
悲しみながら、
この方が大能と輝かしい栄光を帯びて
天の雲に乗って来るのを
見ることになるのだそうです(マタイ24:27~30新改訳)。

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている私たちは、
この方よりも父や母、息子や娘を愛する情の者ですが、

 

 十字架刑によって処刑されるべき者であることを認めて、
処刑場に向かうイエスのあとについて行く者、
エスとともに十字架刑で処刑されたもの、
死んだものとしていただけるのだそうです。

 

 そして、イエスの名によって来てくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えし、
この方によって
〔父である神〕の御思いを心に置いていただいて、
〔父である神〕と思いを一つにしながら生きる者に、

罪に対しては死に、
神に対しては生きる者に(マタイ10:37~39、ロマ6:11)
していただけるのだそうです。

 

 その時には、一瞬にして、
からだを、新しい霊のからだ、復活のからだに変えていただき、
引き上げられてこの方に会い、
いつまでもこの方と共にいるように(Ⅰコリント15:50~53、Ⅰテサロニケ4:16~17)、と。

 その時を待ち望みつつ。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。
また、ご家族などで、教会に行っていないけれど、葬儀はキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、等の

お問い合わせもどうぞ。)