風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

生きるのだそうです。枯れ果てた骨のような私たちでも。

 彼らは言う。
「我々の骨は枯れた。

われわれの望みはうせ、我々は滅びる」と。
それ故、彼らに語りなさい。
主なる神はこう言われる。
わが民よ、
わたしはお前たちを墓から引き上げ、
イスラエルの地へ連れて行く。
エゼキエル書37:11~12

 

 イエスの言葉:
死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。
今やその時である。
その声を聞いた者は生きる。
ヨハネ5:25

 

 Ⅱコリント4:11~18
 サムエル記上30:1~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/4;木)


 死んで、からからに乾いた骨のように、
望みはなくなり、滅び失せるしかない、
そのような状態の私たちにも、
天の神、主は言われるのですね。

「お前たちを墓から、
死人の中から引き上げて、
約束の地に連れて行く」と。

 

 神の霊と呼ばれる方が来てくださり、
私たちのうちに入ってくださると、
私たちは生きるようになるのだそうですから。

 

 イエスは言われました。
「父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、
子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。

 まことに、まことに、あなたがたに告げます。
わたしのことばを聞いて、
わたしを遣わした方を信じる者は、
永遠のいのちを持ち、
さばきに会うことがなく、
死からいのちに移っているのです。
墓の中にいる者がみな、
子の声を聞いて出て来る時が来ます。
善を行った者は、よみがえっていのちを受け、
悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです」(ヨハネ5:21、24、28~29新改訳)と。

 

 神の御子であるイエスの声を聞く者は生きるのだそうです。
そして、使徒パウロが言うように、
「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、
それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、
信じているゆえに語るのですね。
主イエスをよみがえらせた方が、
私たちをもイエスとともによみがえらせ、
あなたがたといっしょに
御前に立たせてくださることを知っているのですから。

 

 たとい私たちの外なる人は衰えても、
【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださって始まった
内なる人は日々新たにされていくのですから(Ⅱコリント4:11~18))。

 

 留守中にアマレク人の略奪隊が町を襲い、
女たちを、子どもも大人もみな、とりこにして連れ去ったとき、
ダビデはこれを追撃して、
奪われたものを全部取り戻し、
分捕り物を公平に分け、
また、友人たちに贈り物をしたように(Ⅱサムエル30:1~31)、

 天の神、主は、
死と滅びの中にいる私たちを、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑によって取り戻し、
ご自身の霊、
【聖である霊】と呼ばれる方を送ってくださって
私たちを生かしてくださるのだそうです。
神の子の声を聞き、信頼する者は生きるのですから。

今日も。

 

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