風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

夜回りが暁を待ち望むように

 私の魂は主を待ち望みます。
見張りが朝を待つにもまして。
1306

 

 愛する人たち、
あなたがたは
最も聖なる信仰をよりどころとして生活しなさい。
聖霊の導きの下に祈りなさい。
神の愛によって自分を守り、
私たちの主イエス・キリストの憐れみを
待ち望みなさい。
ユダ書20~21

 

 エフェソ書2:11~16
 マタイ26:1~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/8;月)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
恵みがあり、
豊かな贖(あがな)いがある方。

 

 それで、私たちはこの方を待ち望むのですね。
夜の見張りが朝の交代の時間を待ち望むのにもまさって。

 

 異邦人である私たち、
以前には、キリストから離れ、
イスラエルの国から除外され、
約束の契約については他国人であり、
この世にあって望みもなく、神もない者でした。

 

 しかし、遠く離れていた私たちも、
今ではキリスト・イエスの中にあることにより、
キリストの血によって近い者とされました。

 

 キリストこそ私たちの平和であり、
二つのものを一つにし、
隔ての壁を打ちこわし、
ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。

敵意とは、さまざまな規定から成り立っている
戒めの律法なのです。

 

 このことは、
二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、
平和を実現するためであり、

 また、両者を一つのからだとして、
十字架によって神と和解させるためなのです。

敵意は十字架によって葬り去られました(エペソ2:11~16新改訳)。

 

 ですから、私たちはこの方への信頼において生活するのですね。
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる思い、願いのままを
【父である神】に申し上げ、知っていただきながら、
神の愛のうちにとどまり続け、
永遠のいのちに至らせる、
私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望んで。

 

 ベタニヤのマリヤが、
労働者の1年分の給料にも当たるような高価なナルドの香油を
つぼごと割って
十字架刑での処刑を受けようとしているイエスの頭に注いだように(マタイ26:1~16)

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって、
エスへの愛を心に置いていただいて。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。
また、ご家族などで、教会に行っていないけれど、葬儀はキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、等の

お問い合わせもどうぞ。)

 

 

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >

<imgsrc="https://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/></a