風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

悩みの地で、実り多い者に

 主はサムエルに言われた。
「容姿や背の高さに目を向けるな。
私は彼を退ける。
人は目に映ることを見るが、
主は心によって見る。」
サムエル記上16:7

 

 主は振り向いてペテロを見た。
ペトロは
「今日、鶏が鳴く前に、
あなたは三度わたしを知らないというだろう」
と言われた主の言葉を思い出して激しく泣いた。
ルカ22:61~62

 

 ヨハネ13:1~15、34~35
 Ⅰコリント11:(17~22)23~26(27~29、33~34a)
 マタイ27:31~44(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/18;木)


 神は、悩みの地で、
私に子孫を増やし、
実り多い者にしてくださった。創世記41:52

 

 十字架に掛けられた犯罪人の一人が
「イエスよ、
あなたが御国においでになる時には、
私を思い出してください」と言った。
エスは、
「はっきり言っておくが、
あなたは
今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。
ルカ23:42~43

 ヨハネ19:16~30
 Ⅱコリント5:(14b~18)19~21
 マタイ27:45~56(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/19;金)


  天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの外見ではなく、
心の内側を見ておられる方なのですね。

 

 ダビデの兄たちの
いかにも強そうな、立派な体格ではなく、
ダビデのご自身を慕う心を見ておられたように。

 

 そして、人の心を知る方は、
ペテロが取り返しのつかない大きな失敗、
エスのことを三度も知らないというようになることを知っておられ、
そのことが起こった時、
突然のことでペテロが絶望して、つぶれてしまわないようにと、
前もってそのことを告げ、
その時には、立ち帰れるようにと
ペテロの心を支え、
準備をしていてくださったようです。

 

 また、師であるイエスが、
自分から弟子たちの足を洗って、
互いに足を洗い合い、
失敗や至らないことを非難し、糾弾するのではなく、
支え合い、覆い合い、仕え合うようにと、
互いに愛し合うようになる模範を示してくださったのですね
(ヨハネ13:1~15、34~35)。

 

 私たちがパン(食物)を食べるとき、
食べたパン(食べた物)が私たちの身体の中にあり、
私たちの身体がパン(今まで食べた物)の中にある
(食べた物で身体はできているのですから)ように(ヨハネ6:48~58)、


 イエスのからだを食べ、
エスの血を飲むと表現されているように(Ⅰコリント11:23~26)、


 イエスが受けられた十字架刑での処刑(マタイ27:31~44)が
自分のためだったと受け取り、
そのイエスに合わせていただいて
〔生まれたときからの私〕という霊を処刑されたもの、
死んだものとしていただいた人は、

 

 三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
心に【父である神】の御思いを置いていただき
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、


 心に【父である神】の御思いがあり、
【父である神】の御思いの中にその者の思いもある(ヨハネ17:21~22)
ようにしていただけるのだそうです。

 

 イエスが【父である神】と持っておられたのと同じ関係に。

 

 イエスの肉を食べ、イエスの血を飲むと表現されている、
エスと一体としていただいた者に。
そして、イエスと一緒に楽園(パラダイス)にいる者にも。

今日も。

 

 

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