風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

お互いの足を洗い合って

 神は、
善をも悪をも、
一切の業を、
隠れたこともすべて、
裁きの座に引き出されるであろう。
コヘレト(伝道の書)12:14

 

 心のきよい人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
マタイ5:8

 

 創世記32:22b~32
 ロマ書14:1~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/29;月・祝)


 相手に損害を与えてはいけない。
あなたの神を畏れなさい。
レビ記25:17

 

 わたしがあなたがたにした(弟子の足を洗う)通りに、
あなたがたもするようにと
模範を示したのである。ヨハネ13:15

 

 ヨブ記42:7~13(14~17)
 ロマ書14:13~23(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句4/30;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
善いことも悪いことも、
隠れたこと、私たちの心を行き来した思いもすべてを御前に引き出し
裁きを行なわれる方なのですね。

 

 だから、心のピュアな人、
混じりけのない、ふた心でない、単一な心の者は幸いだと言われるのですね。

 

 神は、
「私はこんなひどい仕打ちを受けるような悪いことをした覚えはない。
神と言い争いたい」と言い続けるヨブを善しとし、
自分の聖書知識と経験によってヨブを罪ありとし、
神を弁護し、ヨブ゙に悔い改めを迫る三人の友人のほうを怒られたのだそうです。
「あなたがたがわたしについて真実を語らず、
わたしのしもべヨブのようではなかったからだ」と。

そして、ヨブの友人たちのための祈りを受け入れられたのだそうです(ヨブ42:7~9)。

 

 私たちの〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
他人の信仰をさばき、
また逆に、信仰の弱い人を軽く見、あなどります。

 

 けれども、【聖である霊】と呼ばれる方。
エスが十字架刑での処刑を受けて、死んで葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
雲に包まれて見えなくなられたイエス

 

 そのイエスが天の【父である神】の右の座にあって派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が、私たちの心に置いてくださる
【父である神】の御思いは、
信仰の弱い人を受け入れ、
また、信仰の弱い人も強い人をさばかず、
相手に損害を与えないで、
平和に役立つこと、
お互いの霊的成長に役立つことを追い求めていくもの、
愛によって行動していくもの、なのだそうです(ロマ14:1~23)。

 

 だから、私たちは、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
処刑されたもの、死んだものから出て来た思いであると認めて、
これを神の御前に投げ捨て、
【聖である霊】が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きるのですね。

 

 イエスがなさったように、
互いに、互いの足を洗い合って。

 

 キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、
批判し、滅ぼさないでください(ロマ14:15)、とパウロが言うように。

今日も。

 

 

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