風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

人がその子をだくようにして

 あなたたちが
この所に来るまでたどった旅の期間中、
あなたの神、主は
父が子を背負うように、
あなたがたを背負ってくださったのを、
あなたたちは見た。
申命記1:31

 

 私たちは、
私たちに対する神の愛を知り、
また信じています。
Ⅰヨハネ4:16

 

 ヨハネ17:20~26
 サムエル記下2:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句5/8;水)

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの人生の旅路の日々を、
私たちを背負って運んでくささる方なのですね。

 

 エジプトを脱出したイスラエルの民を、
荒野での40年間を運んでくださったように。

 

 この方は、私たち人間を愛していてくださるのですね。
愛は、愛する者といつも一緒にいたい、
心が通じる者になり、
一つ心になっていたい、
相手が思うことが実現するようにと願うもののようです。

 

 それで、ご自身が、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、
それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛するゆえに、自由意思で、自発的に
思いと心を一つにし、
行動を一つにし、
存在を一つにしていらっやるのだそうです。

 

 【父である神】  は、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神に
ご自身の御思いのすべてを明かしておられ、
【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神は、
自分の思いで何かをしようとはしないで、
ただ、【父である神】の御思いが実現することを願っておられ、
そのように行動しておられるのだそうです
(ヨハネ5:19、6:38、8:28、12:49~50、16:13~14)。

ただ、愛し合っているゆえに。

 

 そして、その愛に加わる者をと願われて、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26新改訳)と
人を造られたのだそうです。

 

 けれども、最初の人、アダムとエバは、
その、造られた、愛による「神と一つ」の場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになってしまったのですね(創世記3:5,22)。

 

 神と相談をし、一つ心になっていくのではなく、
自分一人だけの理性による善悪の判断で、
事の善し悪しを決定していく者に。

 

 けれども、天の神、主は、
そのように創造の目的からずれてしまい、
「的外れ」になってしまった人間を、なお、愛して、
廃棄処分にすることを望まず、
ご自身との一つの場に回復しようと計画しておられたのだそうです。

 

 それで、モーセの律法によって、
贖(あがな)い、動物による身代わりの処刑による赦しを示し続け、
ついに、ご計画の時が満ちて、
【御子】である方が、「女の子孫」(創世記3:15)として、
ナザレにいた、ダビデの家系の一処女、マリヤの胎を通して
人の世に来られたのだそうです。

 

 そして、この方が、およそ、33歳の頃、
預言され続けていたとおりに、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任をご自身の身に負って、
神に背いた者、神に呪われた者となって、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。

 

 【父である神】は、この、イエスが受けられた処刑によって、
私たちすべての人間の、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしてくださったのだそうです。

 

 そして、墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
神の国のことを語らせた後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのですね。

 

 そして、このイエスを通して、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、

 

 この方によって、私たちの心に、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを置き、
書きしるしてくださって、
受け入れる者の心にご自身の思いがあるようにし、
ご自身と一つ心になるようにしてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 【父である神】が【御子である神】におり、
【御子である神】が【父である神】にいるように、
受け入れる者が、【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神の中におり、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が
受け入れる者の中にいるようになって、

 【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が
愛し合うゆえに一つになっておられるように、
受け入れる者が、神を愛し、
自由意思で、自発的に、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神と
一つになるように(ヨハネ17:21~26)、と。

 

 私たちも、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いの中へと。

 

 ダビデが神である主に伺いながら、
その御思いのように行動していったように(Ⅱサムエル2:1~3)。

 

 神に持ち運ばれながら。

今日も。

 

 

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