風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

イエスとその復活の力の中で

 主は
代々限りなく統べ治められる。
出エジプト記15:18

 

 イエスの弟子の群れはこぞって、
自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、
声高らかに神を賛美し始めた。
「主の名によって来られる方に、
王に、祝福があるように。
天には平和、
いと高きとことには栄光。」
ルカ19:37~38

 

 ヨハネ20:19~2
 Ⅰコリント12:4~11
 詩118:15~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/10;月)

 

 主は知っておられる、
人間の計らいを、
それがいかに空しいかを。
詩94:11

 

 私は、
キリストの力と
その復活の力とを知っています。
フィリピ書3:10

 

 Ⅰコリント14:1~5、27~40
 フィリピ書3:12~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/11;火)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
代々限りなく、とこしえに統べ治められる方。

 

 イエスが最後のエルサレム入城をされたとき、
人々は、イエスを、この「主の名によって来られた方」、
とこしえに統べ治められる方として賛美したのですね。

 

 それで、パリサイ人たちがイエスに、
「お弟子たちをしかってください」と言ったのですが、
エスは、
「もし、この人たちが黙れば、石が叫びます」と応えられたのだそうです。

 

 そして、人々は、
詩篇118篇25~27に記されているとおりに木の枝を切って来て
道に敷いてイエスを迎えたのだそうです。

「ホサナ(どうぞ救ってください)」と叫びながら。

 

 その五日後の金曜日、
エスは、王となって君臨するのでななく、
十字架刑での処刑を受けられ、墓に葬られたのですが、

 3日後の日曜日の夕方、
ユダヤ人の指導者たちを恐れて戸を閉め切っていた弟子たちのところに来られ、
手とわき腹にあるくぎの穴、やりで刺された跡を見せ、言われたのですね。
聖霊を受けなさい」、と(ヨハネ20:19~23)。

 

 その【聖である霊】と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださって、
【父である神】の御思いのとおりに働いて、
ある人には知恵のことば、
ある人には知識のことば、
ある人とには特別な信仰、
ある人にはいやしの賜物、奇蹟を行なう力、
預言、霊を見分ける力、
異言、異言を解き明かす力として現れてくださるのだそうです(Ⅰコリント12:4~11)。

 

 私たちは、
自分の思い計ることがいかに空しいものであるかを認めて、
キリストとその復活の力、
【聖である霊】と呼ばれる方の働きの力を知って、
この方に信頼していくのですね。

 

 この方から来る愛とその御思いを求めながら(Ⅰコリント14:1~5、27~40)。
うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、
エスが、私たちのこの貧弱なからだを
ご自身の栄光のからだと同じ姿に代えてくださる
その日に向かって(ピリピ3:12~21)。

 

 【主】の御名によって来られた方の、
永遠の統治の中へと。
今日も。

 

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