風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

私たちのために、目が見たことなく、耳が聞いたことがなく、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、

 神の言葉:
これから起こる新しいことを知らせよう。
隠されていたこと、
お前の知らぬことを。
イザヤ書48:6

 

 神は
秘められた計画を私たちに知らせてくださいました。
これは、前もって
キリストにおいてお決めになった
神の御心によるものです。
エフェソ書1:9

 

 ルカ3:10~18
 箴言21:13~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/27;木)

 


 私たちは主に仕えます。
この方こそ、私たちの神です。
ヨシュア記24:18

 

 私たちも数は多いが、
キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、
各自は互いに部分なのです。
私たちは与えられた恵みによって、
それぞれ異なった賜物を持っています。
ロマ書12:5~6

 使徒13:15~25
 箴言23:29~35(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句6/28;金)


 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)私たちは、
自分の理性による善悪の判断によって生き、
聞こうとしない者、
かたくなで、首筋は鉄の腱、額は青銅のようにしている者なのですね。

 

 それで、天の神、主は、
新しいこと、
先の事、私たちの知らない秘め事を、
まだ起こらないうちに聞かせて、
私たちに、「ああ、私は知っていた」とか言わせない、
とおっしゃるのですね。

 

 

 王のために道を備える者として来た
バプテスマのヨハネは言います。
「私は水であなたがたにバプテスマを授けています。
しかし、私よりもさらに力のある方がおいでになります。
私などは、その方のくつのひもを解く値打ちもありません。
その方は、
あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

 

 また手に箕(み)をもって脱穀場をことごとくきよめ、
麦は倉に納め、
殻(から)は消えない火で焼き尽くされます」(ルカ3:16~17、使徒13:25新改訳)、と。

 

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は(出エジプト3:14)、
「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
人の心に思い浮かんだことのないものを、
神を愛する者のために備えてくださった、というのですね。

 

 この世の支配者たちが、
だれひとりとして悟ることのなかったことを(Ⅰコリント2:8~9)。

 

 神である方、
神の独り子であられる方が、
人となって人の世に来られ、
私たち、全人類の身代わりとなり、
私たちの背き、「的外れ」の責任をご自身に負って、
人間の手によって処刑されるという。

 

 

 すべての人間は、
やがて、天の神の御前、栄光の御座の前に出ることになるのですが、
そのとき、そこに、
「ほふられたと見える小羊」、
手に、十字架刑で処刑されたときにあいた釘の穴、
脇に死亡を確認するためにローマ兵が突き刺した槍の傷痕を持つ方を見て
嘆くことになるというのですね(黙示録5:6、ゼカリヤ12: 10 )。

 

 

 【父である神】は、この方、
墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
人類が経験したことのない初めての出来事として、
死者の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れさせ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのですね。

 

 

 そして、10日後の五旬節(ペンテコステ)の日に、
このイエスを通して、
もうひとりの助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を弟子たちに派遣され、
エスによって、弟子たちに【聖霊】によるバプテスマを授け、
弟子たちが、【聖である霊】と呼ばれる神に覆われ、
満たされ、沈められ、漬け込まれ、
この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのままに語り出すということが実現したのですね(使徒2章)。

 

 

 五旬節(ペンテコステ)、
モーセを通しての律法授与、
古い契約が締結されたその記念の日に、
新しい契約が実現した。

 

 

 天の神、主は言われます。
「見よ。その日が来る。
――主の御告げ―― 
その日、わたしは、
イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。

わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。
 ――主の御告げ―― 
彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。
 ――主の御告げ―― 
わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、
彼らの心にこれを書きしるす。
わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる(エレミヤ31:31~33)。

 

 「わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、
わたしのおきてに従って歩ませ、
わたしの定めを守り行わせる(エゼキエル36:25~27)、と。

そのことがこの日以来、実現しているのだそうです。

 

 

 私たちも、この神を私の神とし、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置かれる御思いのとおりに生きて、
キリストのからだを構成する者、
キリストのからだの部分として、
御思いのとおりの役目を果たしていくのだそうです。

今日も。

 

(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
婚活で、広く出会いを求めたい、

等のお問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。

 

〈(株)プレス・ ユア・ ホーム https://christ-sougi.com/ 所属〉)
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉

 

 

 

[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]

 

[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキング]

 

<ahref="https://www.blogmura.com/point/00697809.html" >

アクセスランキング にほんブログ村"/></a