風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

光の源の、父である神ら来る良い贈り物、完全な賜物によって

私たちの主のなさることは
すべて正しいのです。
ダニエル書9:14

 

 良い贈り物、
完全な賜物はみな、
上から、光の源である御父から来るのです。
御父には、移り変わりも、
天体の動きにつれて生じる影もありません。
ヤコブ書1:17

 

 マルコ11:(20、21)22~26
 マタイ5:13~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/17;水) 


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方のなさることは、
みな、すべて正しいのですね。

 

 悪いこと、災いはすべて、
私たちの「的外れ」の結果のようです(ダニエル9:4~14)。

 

 私たちは、良い贈り物、完全な賜物の中で生きていますが、
それはみな、すべて、
すべてのものの上におられ、光を造られた方、
光の源である【父である神】から下って来ているのだそうです。

 

 けれども、私たちの、
私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊は、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっていて(創世記3:5、22)、
天の神、主の創造の目的から「的外れ」になっています。

 

 それで、この「的外れ」の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
天の神、主に対立、対抗していて、
心に計ることがいつも悪いことだけに傾く(創世記6:5)のですね。

 

 だから、私たち、
この〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑されたもの、死んだものから出て来た思いであると認めて、
エスの御前にかなぐり捨てていくのですね。

 

 【父である神】は、このイエスを通して、私たちに
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

 

 そして、この方の働きで、
ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置き、書きしるしてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにしてくださるのだそうです
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。

 

 それで、この、【父である神】からから私たちの心に来た御思い、願いを祈って求めるなら、
そのとおりになるのだそうです。

 いちじくの木に
「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように」
ということであっても、
「この山に向かって、『動いて、海には入れ』ということであっても、
また、恨み事を赦すことであっても(マルコ11:12~14、20~25)。

 

 そして、この【父である神】の御思いによって生きる生き方は、
この神を知らはい人々の中にあって、
地の塩、世界の光、夜、家の中を照らすあかりのようになり、
人々の前で輝き、
人々が【父である神】から来て、私たちを通して現れる良い行いを見て、
【父である神】をあがめるようになるのだそうです。

 

 光の源である御父から来る良い贈り物、完全な賜物によって。
今日も。

 

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