風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

帰って行くのだそうです。喜び歌いながら、新しい国へ

主に贖(あがな)われた人々は
帰って来て、
喜びと楽しみを得、
嘆きと悲しみは消え去る。
イザヤ書51:11

 

 (主が来られる日には)
私たちはいつまでも
主と共にいることになります。
1テサロニケ4:17

 

 フィリピ書3:12~16
 マタイ6:19~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句7/27;土)

 

 イエスを「私の主」とし、
【父である神】がイエスによってなされた贖いの御業、
エスをすべての人間の身代わりとし、
贖いの小羊として立てて、十字架刑で処刑し、
そのささげられた命によって
私たちの「的外れ」の責任が果たされたもの、

 

 天の神、主から、
「われわれのかたちとして、
われわれににせて」(創世記1:26)
と願われて造られていながら、

 

 「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済み、死んだものとしていただいた者、

 

 そして、死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエス

 

 そのイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方、
この方をお迎えし、
この方によって、心に
【父である神】が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いていただき、
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きる生き方をしている者は、
帰って来るのだそうです。

 

 やがて実現する新しい天と新しい地、
新しいエルサレムへ。

 

 そこには、もはや死もなく、
悲しみ、叫び、苦しみもなく(黙示録21:1~4)、
喜びと楽しみだけがあるのだそうです。

 

 けれども、その前に、
エスはもう一度来られて、
私たちのからだを、一瞬にして、
新しい霊のからだに変えてくださり、
パラダイスに引き上げ、
私たちを、いつまでもイエスと共にいるようにしてくださり、
その新天新地、新しいエルサレムの実現の日を
待つようにしてくださるのだそうです。

 

 それで、私たちは、この地上での人生を
この目標に向かって、後ろのものを忘れ、
ひたむきに前のものに向かって進み、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる
神の栄冠を得るために、
一心に走っていくのですね(ピリピ3:13~14新改訳)。

 

 心を天に向け、
自分の宝は、天に、
神の御前にたくわえながら。

 

 神の御前に心の動きの一つ一つを差し出し、
見ていただき、知っていただき、
光の中の出来事、
明るい出来事にしていただきながら(マタイ6:19~23)。

今日も。

 

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