風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

いつも、そばにいて、助け、支えてくださる方

主よ、
あなただけは、
私を遠く離れないでください。
私の力の神よ、
今すぐに私を助けてください。
詩22:20

 

 パウロの手紙:
私は神からの助けを今日までいただいて、
固く立ち、
小さな者にも大きな者にも証しをしてきました。
使徒26:22


 マタイ18:1~6
 マタイ7:12~23(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句8/1;木)


 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方だけは、
いつも、私のそばにいてくださり、
すぐに私を助けて下さる方。

 わが力、わが岩、わが砦。

 私たちが何事かを成し遂げられるのも、
この方の助けと支えがあってのこと、なのですね。
パウロがそうであったように。

 

 

 イエスの12弟子たちも、私たちと同じように、
だれが一番偉いかが気になっていたようです。

 

 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、
彼らの真ん中に立たせて言われたのだそうです。
「まことにあなたがたに告げます。
あなたがたも方向転換して子どもたちのようにならない限り、
決して天の御国には、入れません。

 だから、この子どものように、
自分を低くする者が、
天の御国で一番偉い人です。

 

 また、だれでも、このような子どものひとりを、
わたしの名のゆえに受け入れる者は、
わたしを受け入れるのです」(マタイ18:1~5新改訳)、と。

 

 小さい子どもが親の助け、支えを
ストレートに受けていくように、
神の助けと支えを受け取るということでしょうか。

 

 天の神、主は、私たちを
「何事でも、自分にしてもらいたいと思うことは、
ほかの人にもそのようにする」ように。

 

 滅びに至る大きくて広い道の門からではなく、
いのちに至る、小さくて狭い道の門から入る者に。

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
(創世記3:5、22)、
〔生まれたときからの私〕という霊から来る思いによる信仰ではなく、
エスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心においてくださる
【父である神】の御思いによって歩む者としていただいて
(マタイ7:12~23)。
今日も。

 

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