風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

太陽のように、必要のすべてを、満たしてくださって

主は太陽、盾。詩84:12

 

 パウロの手紙:

私の神は、
ご自分の栄光の富に応じて、
キリスト・イエスによって、
あなたがたに必要なものを
すべて満たしてくださいます。
フィリピ書4:19

 

 マルコ3:1~10(11~12)
 マタイ13:53~58(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/10;火)


 まことに、天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちの太陽、また、盾のようなお方なのですね。

 

 正しい関係に歩む者たちに、
恵みと栄光を授け、
良いものを拒まれない方。

 

 キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、
私たちの必要をすべて満たしてくださる方なのだそうですから。

 

 カぺナウムでのこと。
ある安息日に、イエスが会堂に入られると、
そこに片手のなえた人がいたのだそうです。
律法を自分の力で一生懸命守っていて、自分を正しいとしている人たちは、
エス安息日にその人を直すかどうか、じっと見ていたのだそうです。
エスを、安息日を破る者として訴えようと。

 

 イエスは手のなえたその人に
「立って真ん中に出なさい」と言われた。
それから彼らに、
安息日にしてよいのは、善を行うことなのか、それとも悪を行うことなのか。
いのちを救うことなのか、それとも殺すことなのか」と言われた。
彼らは黙っていた。
エスは怒って彼らを見まわし、
その心のかたくななのを嘆きながら、
その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。
彼は手を伸ばした。
するとその手が元どおりになった。
 

 パリサイ人たちは、
エスをどのようにして葬り去ろうかと
相談を始めることになったのだそうですが。

 

 

 イエスが湖のほうに退かれた。
すると、ガリラヤから出て来た大勢の人々がついて行った。
また、ユダヤから、エルサレムから、
イドマヤ(エドム)から、ヨルダンの川向うやツロ、シドンあたりから、
大勢の人々が、
エスの行っておられることを聞いて、
エスのもとにやって来たのだそうです。
そして、イエスは病気で悩む人たちをいやされたのだそうです(マルコ3:1~9)。

 

 

 イエスの郷里の人たちは、
「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
この人は大工の息子ではありませんか。
彼の母はマリヤで、
彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。
とすると、いったいこの人は、
これらのものをどこから得たのでしょう」と、
エスにつまずき、
エスに信頼しようとはしなかったのだそうですが(マタイ13:53~58)。

 

 

 私たちは、太陽によって存在できているように、
天の神、主は、
私たちの必要のすべてを満たしていてくださるのですね。
今日も。

 

 

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