風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

「私には、すべてが可能です。」

神により頼めば恐れはありません。
人間が私に何をなしえましょう。
詩56:12

 

 パウロの手紙:
私を強めてくださる方のお陰で、
私にはすべてのことが可能です。
フィリピ書4:13

 

 出エジプト23:20~25(26~27)
 マタイ19:16~30(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/1;火)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方に信頼し、
より頼んでいるものは、
人間を恐れることはなくなる、というのですね。

 

 神が、私たちを通してしようと思われることをしていくとき、
神は、そのすべてをしてくださるのだそうですから。

 

 イスラエルの民がエジプトを脱出したとき、
天の神、【主】は、モーセに言われました。
「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、
あなたの道を守らせ、
わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。
あなたは、その者に心を留め、
御声に聞き従いなさい。
決して、その者にそむいてはならない。
わたしの名がその者のうちにあるので、
その者はあなたがたのそむきの罪を赦さないからである。
しかし、もし御声に確かに聞き従い、
わたしが告げることをことごとく行うなら、
わたしはあなたがたの敵には敵となり、
あなたの仇(あだ)には仇(あだ)となろう。
わたしは、わたしへの恐れをあなたの先に遣わし、
あなたがそこへ入って行く民のすべてをかき乱し、
あなたのすべての敵があなたに背を見せるようにしよう」(出エジプト23:20~22、27新改訳)、と。

 

 

 「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる願いは、
自分の思うことが何でもできるようになること、なのですね。

 

 だから、それが、
天の神、【主】と、
そして、他の人と競合し、ぶつかり合って争いになる。

 

 【父である神】は、
その、的外れになっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を、
十字架刑での処刑を受けられたイエスに合体させてくださって、
処刑が終わっているもの、死んだものとしてくださる(ロマ6:11)、
というのですね。

 

 そして、受け入れる者に、
もう一人の助け主、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方がいつも、いつまでも、受け入れる者と一緒にいてくださる(ヨハネ14:16)。

 

 だから、この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いによって、
この人生を歩みなさい(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)、というのですね。

 

 

 あの、「モーセの律法はみな、守っています。
でも、永遠の命を得るために、
何がまだかけているのでしょう」とイエスに問い、

エスから「あなたが完全になりたいなら、
帰って、持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。
そのうえで、わたしについて来なさい」と言われて悲しんだた金持ちの青年のように、
自分の出来ないところ、弱いところ、泣きどころを認めて(マタイ19:16~22)、
エスに受け取ってもらいながら。

 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いの中へと。
今日も。

 

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