風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

この方の御思いが成るようにと

偽りの神々に従う者たちは忠節を捨て去る。ヨナ書2:9


 だれも、二人の主人に仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛するか、
一方に親しんで他方を軽んじるか、
どちらかである。
あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。
マタイ6:24

 

 ルカ5:12~16
 ヨブ記9:1~35(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句10/29;火)

 

 ほんとうの神でない神々、人間が考え出した神々に心を留め、これに従う者たちは、
自分への神の恵みを捨て、忠節を捨て去るのですね。
だれも、同時に、二人の主人に仕えることはできないのですから。


 ある町でイエスに出会った全身ツァラアト
(たぶん、当時不治の病で隔離政策がとられていたハンセン病)の人は、
人のうわさを聞いて、
エスを、人となられた天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方、
キリストであると認めていたのでしょうね。

 

 それでイエスの前にひれ伏して、
「主よ。お心一つで、私をきよくしていただけます」とお願いした。
「あなたがいやそうと思ってくださりさえすれば、
私のこの病気はいやしていただけます」と。
他の方法、他の神々では直してもらえないことを体験していたので、
ひたすら、この方に。

 

 そして、イエスご自身も、
よく、人々から離れ、荒野に退いて、
【父である神】と交わっておられたのだそうです(ルカ5:12~16)。

 

 ヨブも、一日にして7人の息子と3人の娘、全部を失い、全財産を失い、
加えて、足の裏から頭の頂まで悪性の腫物ができて、
灰の中に座り、土器のかけらで身をかくような苦しみの中にあって、
ひたすら、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方に呼ばわり、
しがみついて行った(ヨブ9:1~35)のだそうです。

 

 私たちも、
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思い、
富など、この方以外のものに頼ろうとする思いは、
エスの十字架刑での処刑に合わせていただいて処刑されたもの、
死んだものから出て来た思いであると認めて(ロマ6:11)、
エスの御前に差し出し、見ていただきながら歩むのですね。

 

 墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエス使徒1:3~10、エペソ1:20)。

 

 そのイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方。

この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いによって歩む歩みを。
「みこころが天で行われるように地でも行われますように」(マタイ6:10)、と。

ひたすらに。今日も。

 

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