風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

悪口、俗悪な無駄話を好む生き方から、誠実な生き方へ

悪口を言い歩く者は秘密をもらす。
誠実な人は事を秘めておく。
箴言11:13

 

 あなたにゆだねられているものを守り、
俗悪な無駄話を避けなさい。
Ⅰテモテ6:20

 

 使徒14:8~18
 ヨブ記19:1~29(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句11/2;土)


 私たちには、人の悪口を言い、
俗悪な無駄話を言い合うことで親しくなっていく面があります。

でも、それは誠実ではないのですね。

 

 バルナバパウロがルステラ(トルコの中ほどの町)に来たとき、
生まれつき足のなえた人で、歩いたことのない人が座っていたのだそうです。

 

 この人がパウロの話す言葉に耳を傾けていたので、
パウロが「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言うと、
彼は飛び上がって歩き出し、
それを見た群衆は
「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と、
ふたりにいけにえをささげようとしたのだそうです。

 

 それで、ふたりは群衆の中に駆け込み、
「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。
私たちも皆さんと同じ人間です。
そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、
天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった
生ける神に立ち返るように、
福音を宣べ伝えている者たちです。

 

 過ぎ去った時代には、
神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。
とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。
すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、
食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです」と叫んで、
群衆が二人にいけにえをささげるのをやめさせたのだそうです(使徒14:8~18)。

 

 あるいは、ヨブの友人がつい、やってしまったように、
苦難、不幸にあっている人を
自分の信仰の知識で、罪ある者と責めるようなことを(ヨブ19:1~29)。

 

 【父である神】は、
私たちの人を批判したり悪口を言い、俗悪な無駄話を好む、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出てくる思いは、
エスの十字架刑での処刑に合わせくださって
処刑されたもの、死んだものとしていてくださり、
その思いをイエスの御前に差し出し、見ていただくように、と。

 

 そして、死人の中から復活され、
ご自身の右の座に復帰されたイエスを通して派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に置くご自身の御思いを生きる、
誠実な生き方をするようにと願っておられるのだそうですから。

今日も。

 

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