風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

栄光は、ただ、私たちの助け、盾であるこの方に

私たちは皆、
キリストの裁きの座の前に
立たなければなりません。
Ⅱコリント5:10(11/17の週の聖句)

 

 イスラエルの人々は、
主に助けを求めて叫んだ。
「私たちはあなたに罪を犯しました。
私たちの神を捨てたのです。」
士師記10:10

 

 御父は、
私たちを闇の力から救い出して、
その愛する御子の支配下に移してくださいました。
私たちは、この御子によって、
(あがな)い、
すなわち罪の赦しを得ているのです。
コロサイ書1:13~14

 

 マタイ25:31~46
 詩115(通読箇所)

  (ローズンゲン日々聖句11/17;Ⅲ日曜)


 私たちは皆、
イエス・キリストの裁きの座の前に立つことになるのだそうですね。
そこで問題になるのは、
私たちが、私たちの造り主である神を捨て、
自分が「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっていること(創世記3:5、22)、
のようです。

 

 それは、自分自身を闇の力の下に置くことになるようですが、
【御父】は、私たちを闇の力から解放するため、
【御子である神】を人間イエスとして人の世に派遣し、
この方を神に呪われた者として十字架刑で処刑し、
私たちの、「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスの十字架刑での処刑に合体させて処刑済みにしてくださったのですね。

 

 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。

 

 この方によって、私たちの心にご自身の御思いを置き、
御子の支配下
受け入れる者がご自身と思いを同じくし、
心を一つにして生きる者になるように、と。

 

 それで、裁きのときには、
この、イエスによる贖(あがな)いをもらって、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを
死んだ者から出て来た思いと認めて、
これをイエスの御前に差し、受け取ってもらいながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いで生きているかどうか、
ということになるのでしょうか。

 

 ちょうど、羊飼いの後について行く羊と、
羊飼いを無視して、自分の思うままに山に出て行く山羊とがより分けられるように。
 

 【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちの心に来る
【父である神】の御思いは、
空腹の人に食べ物を与え、
渇いている人に飲ませ、
旅人に宿を貸し、
裸の人に着る物を与え、
病気をしている人を見舞い、
牢にいる人を訪ね、
最も小さい者を心にかける、
そのような思いなのだそうですから(マタイ25:31~46)。

 

 私たち、
この方の恵みとまことによって
御子の支配下に移していただいて、
栄光は、自分自身にではなく、ただ、この神に。
この方を私の助け、また、盾として信頼し、
この方をほめたたえるのですね。
私たちを御心に留められ、
祝福してくださるこの方に(詩篇115)。

 

【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る、

【父である神】の御思いの中で。
この新しい週も。

 

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