風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

恋い慕う罪を、支配する者に、と

もしお前(カイン)が正しいなら、
顔を上げられるはずではないか。
正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、
お前を求める。
お前はそれを支配せねばならない。
創世記4:7

 

 しかし、あなたは正義、信心、信仰、
愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。
Ⅰテモテ6:11

 

 Ⅰコリント2:11~16
 マルコ3:1~6(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/14;火)


 アダムとエバの長男カインは、
大地の実りを【主】へのささげ物として持って来、
アベルは自分の羊の初子の中から、
肥えたものを持って来たのだそうです。
 

 すると、天の神、【主】は、
アベルとそのささげ物に目を留められたのですが、
カインとそのささげ物には目を留められなかったのだそうです。
それでカインは激しく怒り、顔を伏せたのですが、
そのカインに、天の神、【主】は、このようにおっしゃられたのですね。

 

 そして、カインは、
カインを恋い慕い、自分の思うようにさせようとする罪を
支配、管理することができず、
罪の思うままに、弟アベルを殺すことになったのだそうです。

 

 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
その、罪に支配され、人を殺していく私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
エスが受けてくださった十字架刑での処刑に合わせて
処刑が終わったもの、死んだものとしてくださるのだそうです。

 

そのうえで、
墓に葬られ、

三日目に、死人のうちから新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださるのだそうです。

 

 私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
受け入れる者が、【父である神】と一つ心になって生きるようにと。

 

 それで私たちの心にも、【父である神】の御思い、
正義、信心、信仰、
愛、忍耐、柔和を追い求める思いも来るようになるのだそうです。

 

 【父である神】の御思いをよく知っておられる
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来てくださるので、
この方をお迎えした者はキリストの心を持つ、
【父である神】の御思いが成ることだけを
求める者ともしていただけるのだそうです。(Ⅰコリント2:11~16)
 

 イエスは、
「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わされた方のみこころを行うためです」と言われ、
「わたし自身からは何事もせず、
ただ父がわたしに教えられたとおりに、
これらのことを話している」(ヨハネ8:28)方なのだそうですから。

 

 安息日であっても、
【父である神】の御思いのとおりに、
片手の萎(な)えた人の手を動かせるようになさって。(マルコ3:1~6) 

 

 私たちも、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きる者、
罪を支配する者にと。
今日も。

 

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