風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

咎(とが)を数えられず、心に欺きのない者へと

いかに幸いなことでしょう。
主に咎
(とが)を数えられず、
心に欺
(あざむ)きのない人は。
詩32:2

 

 古いものは過ぎ去り、
新しいものが生じた。
これらはすべて神から出ることであって、
神は、キリストを通して私たちを
ご自分と和解させてくださいました。
Ⅱコリント5:17~18

 

 申命記4:5~13
 Ⅰコリント1:1~1~9(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句1/20;月)


 私たちを幸いな者としてくださるのですね。
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方 ( 出エジプト3:14)は。
私たちの咎(とが)の全部を御子イエスの上に置き、
この方を十字架刑で処刑して、
私たちを処刑済みのものとして。

 

 さらに、死んで葬られ、
三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によってご自身の御思いを私たちの心に置き、
ご自身の御思いが受けれる者の心にあるようにして、
私たちを心に欺(あざむ)きのない者として。

 

 創造主である天の神、【主】から離反し、
「神の一人のようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
〔生まれたときからの私〕という霊を死んだ古いものとし、
 

 【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きる、
神と和解した新しい人として。

 

 「このような神を持ち、知恵と悟りのある、
そして、正しい掟と定めを持つ偉大な国民」(申命記4:6~8)とし、
あらゆることばとあらゆる知識において、
キリストにあって豊かな者とし、
どんな賜物にも欠けることがなく、
熱心に、主イエス・キリストの現れを待ち望む者とし、
イエス・キリストとの交わりに入れて、
私たちを幸いな者に、と。(Ⅰコリント1:5~9)
今日も。

 

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