風にそよぐ葦

プロテスタントのキリスト教会員です。「ローズンゲン日々の聖句」より、その日、その日の聖書の言葉を紹介しています。

渇いている人は、わたしのところに来て飲みなさい、と、あの方が

貧しい者と乏しい者とは水を求めても、水がなく、
その舌がかわいて焼けているとき、
主なるわたしは彼らに答える。
イザヤ書41:17口語訳)

 

 玉座に座っておられる方が、
「渇いている者には、
命の水の泉から価なしに飲ませよう。」
と言われた。
黙示録21:6

 

 ヨハネ1:43~51
 Ⅰコリント5:9~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/4;火)


 私たちの舌が、あるいは心が
渇いて死にそうになっているとき、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
いのちの水を飲ませて、私たちを元気にしてくださる、というのですね。
いのちの水の泉から、ただで、自由に飲めるようにして。

 

 神を求め、いちじくの木の下で思いめぐらしていたナタナエルを
ピリポを通してイエスの下に導き、
信じられないナタナエルにご自分が全知な者であることを示して
信じる者にしてくださったように(ヨハネ1:43~51)。

 

 私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
死んで葬られ、
三日目、日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス

 

 そのイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
受け入れる者の腹の中でいのちの水の泉となって流れ出で、
大きな川の流れのようになってくださるのだそうですから(ヨハネ7:37)。

 

 みだらな者、貪欲な者、偶像を拝む者、
人をそしる者、酒におぼれる者、奪い取る者(Ⅰコリント5:11)を
人を生かそうとする【父である神】の御思いによって生きる者へと。

 

私たちにも、今日も。
 

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